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No. 25 英語教育とtranslingual ④【translanguagingの例】

はじめに

前回の投稿では、trans-という接頭語に続くlanguagingという言葉について解説しました。languagingはアウトプット仮説で有名なSwainの用語で、trans-と組み合わせるとtranslanguagingは以下のような定義になると書きました。

「言語の垣根を越えて、言語を含む様々な意味資源から新しい、意図された意味を創出する営み」

要は、単なるcode-switchingでもなければ、英語の授業で日本語を使っていいのかいけないのかという話でもないのです。

とても重要なtranslanguagingですが、ここまでそれについて考えていく中で、ある疑問が浮かんだかもしれません。

「日本で英語を学ぶ/教える場合、そもそもそんなに英語が堪能な人はいないし、日本は島国だし、translanguagingって我々に関係ないのではないか?」

今回の投稿では、このことについて考え、translanguagingの例について簡単に解説していきます。

日本におけるtranslanguaging

translanguagingは日本での生活において関係あるのか?

結論から言えば、島国日本で生活する人、英語を学ぶ/教える人にもtranslanguagingは関係あります (Turnbull, 2020)
これはよく考えれば納得いただけると思います。一番わかりやすい例は、カタカナで表される言葉です。それらはつまり外来語、日本由来の言葉ではないものです。
少し考えるだけでもたくさんの例が思い浮かぶと思います。むしろ、「カタカナで表される表現を抜いて会話・表現をしてみてください」と言われたらとても不自由だと思います(実際そのようなゲームをするテレビ番組があったような…)。
「なんだ、ただのカタカナ語がtranslanguagingか」と思われたかもしれませんが、これも立派なtranslanguagingです(もちろんあくまで「一例」ですが)。こう考えると、日本で生活するすべての人がtranslanguagingに関わっているのです。

translanguagingの例

Turnbull (2020)の例と、私自身が思い浮かぶ例を用いて説明していきましょう。

Turnbull(2020)

たとえば、Happy New Year「今年もよろしくね」の日本語と英語両方が書かれた標識。「こんなの普通じゃん」と思うかもしれませんが、よく考えると、わざわざ両方書く必要はないかもしれません。もちろんHappy New Yearを理解できない方もいるかと思いますが、大概の日本人は自然にこの表現を使えると思います。また、Happy New Yearをどう訳すかという問題も、ここには関わってきます。Happy New Yearは「良いお年を」「あけましておめでとう」と訳すのがもしかしたら一般的かもしれません。そういった意味では、「今年もよろしくね」は、あえて書くことでHappy New Yearの意味をわかりやすくしたり、意味を深めたりしているとも言えるのです。

次に、New Arrival 「新作続々入荷中♡」「50%OFF」と書いてある広告。これもよく見かけるありふれた表現ですが、translingualの観点から見ると、日本語と英語を併用したり、その他の意味資源 (♡、OFF、%など)を活用することで意味を強化しています。もちろん日本語と英語のモノリンガルのためにそれぞれの言語で書いているとも言えますが、「商品を売る」という目的を、意味資源のフル活用で達成しているとも考えられます。

最後に、ALOHAISAI、OKINAWAという文字とアロハポーズの手のイラストが描かれた沖縄にある標識。わかる人はすぐにわかると思いますが、「アロハ」というハワイの挨拶と、「ハイサイ」という沖縄の挨拶を掛け合わせた造語です。「ただのシャレじゃないか」と思われるのは真っ当なご意見ですが、これもtranslanguagingの素晴らしい例です。「挨拶」はコミュニケーションの大切な一部ですので、それにユーモアを加えるのは素晴らしいことですし、それぞれのローカルな挨拶を掛け合わせることでより印象に残る挨拶にするのも意義深いことだと思います。

以上、Turnbull (2020)の簡単な例を紹介しました。期待外れだったかもしれませんが、それこそがtranslanguagingの普遍性を表しているのです。

僕が思い浮かべた例

僕からは二つ、簡単な例を紹介します。
一つ目は、「アベノミクス」という言葉。これはご存知の通り、安倍元首相の名字と、エコノミクス(経済)の掛け合わせた造語です。これ一言で、「ああ、安倍さんのやっていた経済政策ね」とわかると思います。逆にこの造語がなければ、その都度「安倍(元)首相の経済政策」ということになり、わかりやすさにかけるのみならず、親しみやすさもないと思います。こういった「親しみやすさ」「とっつきやすさ」という特別な意味を見出すことができるのが、translanguagingの大きな効果です。

もう一つは、小池都知事が使用した「東京アラート」という言葉です。これは新型コロナウィルスによる最初の緊急事態宣言の解除後、東京で再度コロナが流行り始めた頃に使われた表現です。日本語だけで「東京警告」とすることもできたはずですが、「アラート」という英語と「東京」という日本語の地名を合わせることで、「東京は何か警戒しなければいけない状態なんだ」と危機感を持たせることが狙いだったと思われます(こういうのを「カセット効果」といいます)。
ただし私は、このような使用方法はあまり望ましい形のtranslanguagingではないと思っております。とはいえここで取り上げたのには理由があって、それはtranslanguagingが不安感や不信感を煽るために悪用されることもあるということを皆さんに知って欲しいからです。そういった問題点も知ることで、translanguagingのより良いあり方を模索していきたいと思っております。

ここにあげた二つの例はたまたま政治がらみのものでしたが、以上の例のように、日常生活にはtranslanguagingがありふれているというのをご確認いただけたかと思います(政治のようなわかりやすい「メッセージ」が必要なものには使われがち、というのも合わせてご理解ください)。

おわりに

今回の投稿では、translanguagingの例をご覧いただきました。あまりに普通のことばかりでがっかりされたかもしれませんが、このようにtranslanguagingは我々の生活に根付いています。

おわかり頂けたかと思いますが、translanguagingには様々な形があります。だからといって「なんでもあり」にしてしまうと、悪用されることもありますし、その良さ・可能性を生かすことはできません。多様性を認めつつも、どのようなtranslanguagingが望ましいか、私たちは探究していく必要があります。
日常で見聞きすることばに敏感になり、どのように英語学習・教育に取り入れていくべきか、今後も考えていきましょう。

参考文献

Turnbull, B. (2020). Beyond bilingualism in Japan: Examining the translingual trends
of a “monolingual” nation. International Journal of Bilingualism, 24(4), 634-650.
https://doi.org/10.1177/1367006919873428


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