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韓国旅行で経験した、友人版『花束みたいな恋をした』

今年の桜が散ったくらいの時期に、女友達と2人で韓国のソウル旅行に行って、環境に対して人って流動的だなって思った話です。

その子は大学の同じ学部学科で第二外国語の授業が2年間一緒で、大学の一番の友達だろうなって思ってたお友達。

日程は2泊3日だったけど、行きは成田9時発という鬼畜スケジュールだったので、成田近くのビジネスホテルに前泊した。
私は今退職して予備校生という自由な立場なので、仕事後に家から来るというお友達より早めにチェックインして、ビール片手にテレビを見て待っていた。

そのお友達とは卒業旅行で、札幌から函館まで移動したことがあった。
学生時代その子は計画するよりその場で決めるのが好きなタイプで、計画しないと旅行できない私は不安を感じたのを覚えてる。
(MBTIで言えば、JとPの違いなのかな)
けど北海道で初めて臨機応変な旅行をしたら案外4日間刺激的で楽しくて、人生観が6mmくらい変わったなって、今となれば思う。

そんなお友達と韓国に行くということで今回も臨機応変なのかなと思いきや、数日前に「とんでもなく細かい日程表」が送られてきた。
3日間行く場所が全て決まっていて間でどの地下鉄に乗ってどこで乗り換えるかがぎっしり書いてあったし、回る場所も1時間単位で決めてるような内容。日付が変わるまで予定が埋まってる。

異国の地で絶対こんな上手く回れなくない?飛行機着いてから空港出るのってこんな早くなくない?どの電車に乗るかなんて、グーグルマップ的なアプリでその度調べればよくない?
計画性があると自負していた私だけど、逆に計画性なくない?とシンプルに息が詰まった。

電話して確認しようかなって思ったけど、相手は「仕事が忙しい」が口癖になりつつある社会人3年目のお友達だったので、まぁ韓国着くまでに伝えれば良いかなって思った。
6年以上の仲で今まで衝突したこともあったけどその日のうちには仲直りしていたし、なんやかんや仲良く色々回れるだろうと思ってた。

でもその期待は前泊のビジネスホテルで心配に変わった。
何故なら22時くらいに部屋に来たお友達の顔色が真っ青で声が小さくて「心が疲れている人の特徴だ」ってすぐに分かったから。

元々頭の回転が速い子だったのに、喋るのが遅いし、私の言葉へのリアクションも間が空く。
頭の中のアラートが鳴り出し、空元気で話し始める私の「明日から楽しみだね~!」という女子会テンションな言葉。
それに対して、口先でボソボソ「韓国での空港の検疫の手続きができなかったらどうしよう」「英語話せないから(私の名前)に頼るしかない、何かあったら助けてね」「韓国のSuica的なカード上手く使えなかったらどうしよう」と不安のお祭り状態のお友達。韓国4回目って聞いてたんだけど。

こんなに不安がるか…?Suicaなんて使えなかったら駅員に英語で聞けば良いじゃない。韓国って英語使えるよね?
そんな疑問を無理やり抑えて、成田の夜は早めに寝た。

その後の韓国の3日間だけど、私の頭の中のアラートは間違っていなかった。
旅行好きな人生なので、25年間友達とも恋人とも家族とも色々な場所に行ったけど、こんなに悲惨なのは初めてだった。

お友達は睡眠も韓国料理もまともに取れていない様子だったし、私の言動に対して「良いよ」「分かった」「大丈夫」の三種の神器を振りかざす。
ソウルの街並みを背に、スマホ首で地図アプリかSNSを不安顔で見ている。あの3日間スクリーンタイム何時間だったんだろう。

仁川空港からの移動をカカオマップで調べたら、地下鉄よりバスの方が楽だったのでそっちにしようと成田で言ったら、「乗ったことないから嫌だ」って強めに言われたのも引っかかる。結局押し切ってバスにしたけれど。
そのバスの中で私が三種の神器を振りかざされている後ろで、日本人の女の子2人が、日本人テンションでキャピキャピしていた。多分同い年くらい。クソ羨ましかった、それがしたかったねん。

さて、ようやくここからが本題なんだけど、環境の変化って怖いなって思う。
私は大学4年~社会人1年目まで、家族とか恋人とか原因はいくつかあるんだけど、パニック障害になっていた。今は8割くらい元気だけど。
なので自分のことで精いっぱいで全然気づかなかったんだけど、今思い返すとお友達も2021年の春からじわじわと余裕がなくなってきていたのかもしれない。
「パワハラ受けて辛かったんだ」「在宅での残業日付変わっても終わらなくてさ」みたいな話も聞いてたし。
優劣をつけるような発言が増えているのは、ずっと気になっていたし。

でも私は、私が一番大事だ。
もし私が揺らがない人間だったら、いくらでも話を聞くし、アドバイスなんか傲慢だからできないけど、いくらでも話を聞く。
お友達の攻撃的な言い回しに「わかる」って言う。
お友達にとっての「悪」を積極的に否定する。

でも私は今も揺らいでるから無理だ。
韓国での3日間、まともに目を合わせないようにしていたし、別行動して言葉から逃げた。彼女の不安な雰囲気や、不安から来る攻撃的な言葉から逃げたかったから。
別行動中、ホテルに引きこもってるお友達から来た「無事?誘拐されてない?」ってラインも未読無視した。真昼間のソウルそんな治安悪いかよ。

先日、ついに映画『花束みたいな恋をした』を観た。
周りからの口コミ通り、学生時代から付き合ったカップルが「価値観のズレ」で別れるよって話だった。
環境の変化から学生時代から3年半付き合った恋人と別れたので、絶対死んでも見ないぞ!と思ってた映画だったんだけど、思ったよりはやられなかった。2時間半くらい引きずったくらい。
Awesome City Clubのちょっと売れてる時期の曲、学生時代よく聴いてたから映画で流れててエモかった。

その2時間半、ちょっとだけお友達のことを思い出した。
大学1年生の頃って人間関係の自由度が異常に高かったから、環境と高校3年間で培ったスクールカーストが似たような人を自然と選んでた。
でも卒業後の環境や雰囲気によって、違う人格が生まれちゃう。
4年間で変わる奴ももちろんいるけどさ。

人って流動的だよね。
「価値観のズレ」とかよく言うけど、「人格の変化」くらいに思った方が良い気がする。
他人に一貫性なんか期待しちゃダメなのかも。もちろん自分自身にも。

お友達がいつか元気になるのを祈ってる。
また一緒にワインとか飲みたいな。

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