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時間の使い方⑥(修行と思えば)


【修行】

永平寺の修行の様子を撮影した番組を見たことがある。

朝早く、カネを鳴らしながら起床を告げる者が走り回る。

私語を交わすことなく、最低限の水で洗顔、食事、歯磨き。

床を乾拭き、清掃、読経、座禅、作務。

驚きの連続であるが、この生活を毎日繰り返す。

最大の驚きは、眠るときの作法だ。
一畳の範囲で寝るために、はみ出さないように布団を縛る。

「起きて半畳、寝て一畳」というコトバがある。


人にとって必要なのは、起きているときには半畳、眠るときには一畳のスペースで充分というたとえだ。

人は欲張りだが、必要なものなどそれほどないという真実を示していると思う。

永平寺で修行に挑戦してみたい訳ではない。かといってこの欺瞞に満ちた資本主義の現実世界にどっぷり浸かるのも御免被りたい。

樽に住んだディオゲネスは、紀元前の人であるが、鎌倉時代の道元禅師と似たようなところがあったのかもしれない。

両者の偉いところで、要のところは、
徹底的に自分ために時間を使った ということではないだろうか。

世間体などとは無縁、樽に住み、哲学三昧の生活を実践した紀元前の偉人。

都から離れ、山奥の庵で座禅三昧の生活を実践した禅師。

誰かに命令されたわけでもなく、
頼まれたわけでもなく、
自由意思で自分のために使った時間。

【モヤモヤは消えない】

樽で暮らした哲学者、永平寺の修行を始めた道元禅師の話に共感する。

そして、世を儚んで隠遁や隠居を始めた先人達の話にも共感できる。

さあ、明日からでも真似して始めようか?

樽に住む?
できっこないよ。網戸もエアコンも暖房もないところに住めるわけないじゃないか。
永平寺の門を叩く?
できっこないよ。いい年した俗なオッサンが、早寝早起きで無言の行なんてできるわけないだろうが。

我儘な自己

新卒一括採用の事務屋が、仕事についていけず戦線離脱した。
同期から出世が遅れ、後輩にも抜かされ始めた。

もう一度レースに戻してくれと人事に直訴するわけではなく、閑散部署でだらだらやっているの図。
それなのに、今更人に遅れていると、ヤキモキし始まってしまうオレ。

恥ずかしすぎる。
情けなさすぎる。
とっとと辞めてどこかにひきこもってしまいたい。

辞めちゃうか?
できっこないよ。生活費をどうするんだい?長生きしてしまったらどうするんだい?退職金が少し割増になるだけで、なくなっちまうかもしれないよ。子供の学費だって、大学に行きたいっていわれたらどうするんだい?
まだ時期尚早だろう………。

心の叫び声

心のモヤモヤは決して消えることなく、四六時中僕をチクりチクり。

【究極の選択】

ここに究極の選択肢が示される。

①もう一度戦線復帰すべく組織のお偉方に直訴する。
②とりあえず6月のボーナスまでは頑張ってみる。
③まず、次の早期退職優遇制度への応募を目標に、新しい道をさぐりながら与えられた日々の仕事を頑張ってみる。

やはり②か③だろう。
しかし、もうボーナスまで頑張るというモチベーションだけでは乗り切れないかもしれない位、辞めたさ指数マックス状態を迎えている気がする。

やはり人はパンのみに生きるにアラズなのだ。

12月に応募するかどうかそのときに決める。それまでに、具体的な新しい道探索を始めるのだ。

そんな思考実験を行ったら、少し曇天に一筋の光が差し込んできたような気がした。

もうしばらく、世間体、見栄、虚栄心、過剰な自意識を剥がしていく修行だと思い、日々生きてみることにした。

衝動的ではなく、周到な準備をした上で、羽ばたく算段である。

        (つづく)

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