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日本初の古典訳対読解法、源氏物語、平家物語、大鏡

私は、長年教職の立場での念願でありました日本初の源氏物語訳対『3分de源氏物語ⅠⅡⅢⅣ』全四冊を十年がかりで完成させました。
 著名な作家や学者の口語訳が多くありますのに、あえて『源氏物語』の口語訳を試みようと決意したことにつきましては、大きな理由が二つありました。
 その一つは、従来の口語訳の多くが、『源氏物語』の対訳でないことで、わかりづらいという印象が学生時代の頃からありました。
 もう一つは、従来の『源氏物語』の訳に、本文から離れている所が少なくないという不満がありました。それは著名作家の訳に多く見られるのですが、このことはその作家が作家なりの解釈で創作した訳文がありました。
 しかし、そのような本文から離れた訳文は、紫式部の書いた『源氏物語』からは離れてしまっていることも事実ですので、読者は厳密に言えば紫式部の書いた本物の『源氏物語』をきちんと読んでいないということになります。
 そこで、私は紫式部の書いた源氏物語の本文を、大切に訳したいと考えたので、日本初の訳対(現代文の訳文が先にあって原文が後にある方法)を考えだしました。
 しかしながら、十年の歳月をかけて『源氏物語』をすべて訳してみて感じたことは、結局、王朝の世界に渦巻く愛欲の世界を女性の立場でしか人間の世界を見ていないと感じたのです。古典としての最高傑作でありながら、そこに一つの限界を認めざるを得ないのであります。
 それに対して、世界を男が描いている作品は他にないのかと考えて見た。『源氏物語』を平安女流文学の傑作とするならば、『大鏡』は平安男性文学の傑作であると思った。平安時代を生きた政治家たちが権力を目指して、生々しく描いていた。そういう意味で、現代の各界を問わずに、戦う男性の、生きざまをあらわす作品であった。それならば、未来に向けて『大鏡』を『源氏物語』と同じように日本初の訳対で表現してみようと考えました。ただ、難しいのは原本と流布本との関係であるが、私自身が創作者として『大鏡』のもつ文芸性と史実性をできる限り再現したいと思った。
 最後に全国の多くの読者の皆様には、未来のための私の意欲的な試みをご理解いただいて、より一層のご支援、ご教導を賜りますよう、お願い申し上げる次第です。

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