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フロイトとグリコのおまけ

TOPの写真は、どんむさんから、お借りしました。こんな可愛い✈️に乗れたら楽しいな。

私がまだ小学校に入学する前のこと。
その頃、母は飛行機の機内食を作るパートをしていて私はよく母の職場まで連れて行かれた。今頃は、職場に子供を連れて行くなんて託児所付きでもなけれは許されないだろうが、当時はまだ、迷惑さえかけなければ許される雰囲気があったのだろう。
母は職場に着くとロッカールームで着替えて、「いい?お母さんが帰って来るまで、絶対にココから出ちゃダメよ」と言って部屋を出て行った。お母さんが帰って来るまでって、どのくらいの時間なんだろう?

その頃はまだ、時計も読めないし、時間的な感覚もわからない。でも、不思議とあまり、恐いとか寂しいといった不安は感じなかったように思う。途中、誰かが着替えに入って来て、私の顔を見て「アレっ、誰の子かな?」と微笑んでくる人もいた。
お昼頃になると、母が、どこからか卵かけご飯を私のために持って来てくれた。
「これ食べて、もう少し待っててね」と、母は私がご飯🍚を食べるのを見届けてくれるわけでもなく、また慌しくロッカールームを出て行った。

私はその頃、ひとつの遊び道具を持っていた。
グリコのキャラメルのおまけか何かに付いていた🐢に長いヒモが付いていて、伸ばすとヨーヨーのように遊べるやつだ。
🫲に収まるほどの、小さなおもちゃ🪀
私はその🐢の長いヒモを2階の窓🪟から下ろして引っ張っぱり上げたりして飽きずに遊んでいた。

もしもし、🐢よー、カメさんよー♪

下を歩いている人が、(時々、ん、何だ?)
と気づいて、コチラを見上げてくるのが何だか可笑しかった😀😆

2階から🐢が降りて来て地上の人はビックリ🫢

そうこうして遊んでいると、母がやっと仕事を終えて私を迎えに来てくれる。

最近、十川幸司さん著者の『精神分析』の中の「母の不在」という文章を読んで、私は幼い頃の自分を重ねた。その時は、わからなかったけれど、私は母が不在の寂しさや不安をきっと、🐢のヨーヨーで紛らわしていたのだと思う。
フロイトの1才半の孫エルンストが母親が留守の時に糸巻きを投げて「オー」(フォルト、いない)と言い、糸を引き寄せる時に「ダー」(いた!)と母の不在を存在に置き代えたように。以下の文章は十川幸司さん著者『精神分析』からの引用である。

フロイトの孫のエルンストは、生後1年半の時、母親の不在という苦痛な状況で、糸巻きを投げて引き寄せるという遊びをする。その際、彼は糸巻きを投げる時に「オー」(フォルト、いない)という言葉を発し、引き寄せる時に「ダー」(いた)と言う。
 彼は母親の不在という不快な状況を糸巻き遊びによって再現し、言語の対でその状況を象徴化することによって、自らの経験した不快な状況を克服している。言語にはこのように自らが置かれた状況を乗り越えるという作用がある。

(出典『精神分析』十川幸司著)

私も母の不在を、🐢を窓の下に投げることによって表現していたのだと思う。そして🐢のヒモを引き上げる時に母の存在を確認出来たのだと思う。
「お母さん、いない。いる。お母さん、帰らない。帰る」みたいな花占いのような、ひとり遊びをいつまでも繰り返していた私。
 でも、🐢はある日、ヒモが元に戻らなくなって私は🐢さんを地面に落としたまま、あとでお母さんと拾ったかどうかは覚えていない。

でも、ありがとねー、🐢さん。
 私はあなたのおかげで、当時は母の不在が、ちっとも寂しくなかった。ヒモで何度も下へ下ろしても、必ずあなたは私の元へ帰って来てくれたから。
幼い頃の私を守ってくれて、ありがとう。
グリコのおまけの🐢さん^^

カメ🐢のおまけは、こんなにデカくないよ☺️


#エッセイ
#フロイト
#精神分析
#グリコ














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