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被災支援、最後

たった5日間、石川県にいただけだ。

僕が何かしたわけではない。
そう繰り返し、自問自答した。

もちろん、答えは出ない。

もう一度行けと言われたら、どうするか。
間違いなく行くだろう。

まだ、もの足りていない。
今回は、ただ観光をしたという印象が強い。
美味しいものを食べたという印象が強い。
サウナに常に入っていたという印象が強い。

要するに、被災支援としたという印象が薄いのだ。

確かに、僕は避難所で、4日間夜を明かした。
口数の少ないもう一人の自治体職員と、ポツポツ喋りながら、時に仮眠をとりながら、過ごした。

被災地にいる、という感覚はあまりない。
夜は被害を隠すのに便利なのだ。

朝、金沢へ帰る途中、被災した痕跡を見る。
それは現実感がない。

いつからそうだったのか、おそらく2ヶ月前からだろう、その建物がへたり込んでいるのに、ここが被災地だと実感を持てない。

その家の持ち主、実際に見たわけではない。

おそらくそれぐらい壊れている家があるから、避難所で暮らしている人たちと、少し話をしたけれど、みんな元気で、悲観的な人はいなかった。

それは幸いなのか、ただ気丈に頑張っているだけなのか、僕には判断できない。

けれど、僕が受けた印象や、避難者の言葉や、避難所での食事、金沢でのホテル暮らしも、支援者の乱暴な運転も、金沢おでんも、新鮮な寿司ネタも、一緒に飲んだ熱燗も、並んで食べたラーメンも、地ビールで乾杯した開放感も、サウナ室に寝転がるおっさんも、湯船に張り付いた落ち葉も、フロントのメガネの若い女性も、レストルームの折れ曲がった漫画も、回る洗濯物も、ひび割れたアスファルトを踏む人も、割れて通れない橋も、遠くの波飛沫も、生憎の雨模様も、星の数が少なくなるにつれ金沢も、新幹線の通り道も、アパホテルから見下ろす駅ビル屋上の駐車場も、ゴーゴーカレーも、8番ラーメンも、やけに陽気なコンビニの店員も、声をかけようと少し勇気が出たことも、結局声をかけられなかったことも、僕は全然一人で色々楽しめる人なんだと感じたことも、スニーカーを買おうか迷っていた駅前のデパートも、なんでも教えてくれるポケモンセンターの店員さんも、ウイスキーがたくさんあるブックカフェも、街の本屋にしてはレイアウトが凝っているうつのみや書店も、美味しいスコーンの喫茶店も、ビールはどこでも上手いかという感想も、サッカーの好きそうな格好をした自治体職員も、もっと楽しくしゃべれたのになあという後悔も、写真を撮る人も、駅そばも、金沢駅の溢れるぐらいの人混みも、21世紀美術館のミュージアムショップではしゃぐカップルも、カウンターのみのラーメン屋も、そういえばホテルで一度も眠らなかったことも、昼間はすごい仕事してたんだなというのがわかるホテルの廊下も、グッドデザイン賞を取るパッケージの羊羹も、一円おまけしてくれるガソリンスタンドの定員も、結局何をしに行ったのかよくわからないけれど充実した日々も、金沢あんまり関係ないけど結局頼ってしまう中川政七商店も、このために買ったiPadも、

僕の一部になった。

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