母と歌えば2024⑤

「ピーピーピー。」
日曜に母と眼科に行った。補聴器の無料オーバーホールをしてもらうためだ。
一週間くらい時間がかかるので、代わりの補聴器を借りてきたのだが、それが普段母が使っているものに比べるとあまりよく聞こえないらしい。その上、何かする度に母の左耳から異音が聞こえてくる。
「あなたに頼みたいことがあるのよ。」
 月曜日、実家に行くと母は私にそう言った。米沢に住んでいる母の姪のヨーコちゃんが、今日、80歳の誕生日を迎えたので、電話をかけてほしいというのだ。
「自分でかければ良いんだけど、いつもより耳がよく聞こえないから。」
そうね。私は母のガラケーを借りて、紙に書かれたヨーコちゃんの家の電話番号を押した。
「おかけになった電話番号は、ただいま、使われておりません。」
というアナウンスが流れた。
「電話番号変わったんじゃないの?」
私はヨーコちゃんと同じ米沢に住んでいるおばちゃんに電話をして、事情を伝え、ヨーコちゃんの家の電話番号を聞いた。おばちゃんに聞いた番号は母に渡された紙に書かれた番号と同じだった。
どうして、繋がらなかったんだろう?
「でもね、今日はデイサービスに行ってるのよ。」
午後5時過ぎに帰ってくるのだという。
私は母に電話を渡した。母は自分の姉と少しだけ、話をした。
 「じゃあ、歌の練習をしようか?」電話を切った母に言うと、
「嫌だ。体操だけにする。」
と答えた。それならば、と手のひらのツボを押すと
「馬鹿馬鹿しい。時間の無駄!こう言うの嫌いだって、知ってるでしょ?もう、おわり!」
と声を荒げた。そしてキッチンへ行き、昼ごはんの準備を始めた。良かれと思ってやっていることをそんな風に言われれば、流石に気分は良くないけど、まぁ、仕方がない。補聴器が合わないせいで、イライラするのかもしれないし。
 母はぷりぷり怒りながら、昼ごはんを作ってくれた。長芋と豚肉の炒め物は梅干しの酸味が効いていて、とても美味しかった。
 昼ごはんを食べながら、テレビを見た。朝ドラ『ブギウギ』の再放送。家政婦役で登場した木野花さん、ヨーコちゃんに似てる。
「そーお?私はいつも5、6歳の頃のヨーコちゃんを思い出すから。」
私がよく会ったのはきっと、40代以降だった。中学の英語と美術の先生で、進路指導が得意だと聞いていた。男の子二人のお母さんで、学校の休みには長い旅行をするのが家族の習慣で、その旅行の始まりか終わりに、狭い市営住宅だった我が家のピアノが置かれた四畳半に、親子四人で泊まっていた。
 子供を見守りながら、ぼーっとしている木野花さんがアップになった時、母は
「そうね、ヨーコちゃんに似てるかも。」
と言った。私は木野花さんがテレビに出るようになってから、ずっとそう思っているんだけど。今回は特に青森弁をしゃべる役だから、山形弁をしゃべるヨーコちゃんに似ているように感じる。
 母は午後3時に歯医者を予約している。折れてしまった歯の根を取らなくてはいけないのだそうだ。ことによると大変な治療になるかもしれないので、私もついていくことにした。歩いて20分ほどの場所にあるその歯科医院は、とても綺麗な建物で、玄関のドアを開けるとおもちゃの鳥が『メリーさんの羊』のメロディで出迎えてくれた。
「補聴器の調子が悪いので、娘を連れて来ました。」
母が受付の女性に説明すると、私も診察室に入るよう言われた。
「麻酔を打ちますよー。少しだけ、ちくっとしますよー。ごめんなさい、何回かに分けて打ちますよー。」
歯科医の男性は治療をしながら、喋り続けている。麻酔を打ちながら、その部分をマッサージし続けている。こんな歯医者さん、初めて見たなぁ。
 母の折れた歯の根は、普通より小さく、簡単に取り出された。それでも、多少は血が出たので、しばらくコットンボールを噛んでいるように言われた。
「抜いたところが固まって、盛り上がってくるまでに、約半年かかります。ブリッジを作るなら、それからでないとできないので、それまでの間は部分入れ歯を作ることもできます。」
受付の女性が聞き取りやすい大きな声で説明してくれた。母は、まずは部分入れ歯を作り、その後、ブリッジにすると言う。
「そうすると、かなり時間がかかるね。歯の治療って、結構辛くない?」
と、私が聞くと母は
「何事も経験。」
と答えた。ふぅん、そうなのかー。
 帰宅後、ヨーコちゃんにもう一度電話した。
「ヨーコちゃん、誕生日おめでとう。」
母の大声、ヨーコちゃんに聞こえたかな?

帰り道の公園で見たお花。
母がミツマタと言ってた。
歯科医院で出迎えてくれたおもちゃの鳥

母の作ってくれた昼ごはん。長芋と豚肉の炒め物が美味しかった。

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