ソシオニクスNi
時間軸を信頼する人が少ないせいか、ソシオニクスNiには非常に誤解が多いように思う。
主導要素は、誰もが自然に信頼するもので他の人より細やかなグラデーションを認識するものではないか、と私は思っている。
時間軸の世界観
ソシオニクスの情報要素に沿って、時間軸の世界を説明していこうと思う。
「自分の人生が将来どのように発展していくか」の具体的な計画を常に頭の中に描いて起きたがる
とあるけれど、これは目先の試験結果や進学先、就職の心配というよりも、もっと長い目で見た「人生の流れ」ビジョンを私は自然に認識している。
私にとってビジョンとは北極星のようなもので人生の指針になる。
※ビジョン、先行きや見通しが皆無ならソシオニクスNiの信頼度は低いだろう
時間軸は「何をいつ、どこまで、どのくらいやれば良いかタイミングや道の分岐」を認識し私を方向づけリードしている。
私にとって「目標」とは「〇〇になりたい」とか「〇〇しなければ」と自分に願ったり追い込んだりするものではなく、必然である。
何かに願うことはない、自分を追い込むこともない、物事はそうなると決まっている(未来)のだから、こうしていこう(現実)それが当たり前だという不思議な考え方をしている。
つまり、意思決定によって未来が形成される(今→未来の目標を立てる)のではなく、過去との因果で繋いだ未来があるから私は意思決定している(未来→今がある)。
私がここにいる理由、私が話す理由、私が行動する理由‥これら意思決定の根拠が全て未来にある。常に伏線回収をしながら時間の中を歩いているような感じ。
「未来があるから私はここに存在する」ので、どんな未来になるか分からない、見通しが立たない、不安で動けない事は滅多になく、焦ることもなく内的調和と静寂を保ち続ける。
先を見通しているから、動く必要がない時は全く動かない(保守と怠惰な面)と、動く必要がある時に一気に動く(革新と集中的な面)両面があり、予測しながら”時間での”バランスを取っており、”人”と個人的な感情の駆け引きをするのではない。
Niは、ここがよく勘違いされやすい。
※「他人との感情的な駆け引き」は「時間」ではなくソシオFeの領域になる。
主導Niは、自分の人生が将来がどのように発展していくか先の見通しや予測を頼りにする(第5、第6機能の人βクアドラSLE、LSI、γクアドラSEE、ESI)Se優位の人に時間の流れや道を(論理Teで又は感情Feで)指し示す先導の役割が主になる。
※先導 先に立って導くこと
時間軸の信頼は神秘的な方向性と直観を確かな導きとして感じさせる。
神秘を信頼しない人にはとても信じ難いと思う。
この言葉は、ジャンヌ・ダルクが時間軸にある自分の運命を神の意思に任せており、ビジョンを見据えて方向づけられた先導を感じさせる。
時間軸と未来への責任に身を捧げようとするのは「私がここに存在するのは、与えられた役割があるからだ」と自分の運命が既に決まっているような感覚を自然に持ち合わせているからだ。
(この犠牲心が中々理解されないところ)
ソシオニクスNiは、幼少期から広大な精神世界を築き上げているが、想像世界に引きこもる自己保身のためではなく、創造するため、戦うための戦略に“時間“を用いる。
どんな理不尽な状況でも、自身のビジョンに沿ってまわりを導き、働きかける姿勢が主導の特徴として現れるだろう。
長い歴史とこの先に続く未来へ、時間軸においての自分の責務や運命に任せた犠牲心が、精神的宗教的な意味合いを強めており、ソシオニクスNiの対応する愛、Agapeアガペーの価値観へと繋がっている気もする。
愛については沢山書きたいことがあるので、また別の機会に☘️
直観の信頼
私は、ほぼ直観に頼ってる。
(自分の意思決定背景なので当たり前ではあるけれど)
直観の精度が上がれば、どこまで行き、どこを曲がれば良いか、この先に何があるのか道筋を立て(リスク回避)、この先何を取り何を取らないか取捨選択で間違えることはなくなり、最適解を素早く導き出せるようになる。
私は今まで、これをずっと鍛えてきたし、これに頼るしか生きられない。それくらい重要なもので、直観が私をナビゲートする。
先にある障害、問題に対してどういう戦略で臨むのが最も効果的なのか、近道はあるか、抜け道はあるのか、もっと面白いことができるか時間においてあらゆる可能性を頭が勝手に計算していく。
可能性についての取捨選択は、呼吸と同じく自然に選択しており、私の中では予測は当たり前。
そして当たるか当たらないかのギャンブルみたいなものではなく、見通しは確かな指針になる。
むしろ想定外の出来事が楽しみで、想定外を色々考えては想定内にしていく‥という、よくわからないことを延々と頭の中でやってる。
私の側にいると、最悪の結末をポロッと口に出してまわりを不安がらせてしまうこともある。
私としては可能性を全部潰していくのが楽しいもんだから(あ、この人達は想定外を楽しめないんだった‥)と気がついて慌てて訂正したりする。
余計なことは言わない🤫
私は直観的に自分がそう感じたなら真実を確かめたい、好奇心の方が優ってしまう。
デスノートで、Lは、レイ・ペンバーの尾行対象者の中にキラが居る可能性に「5%です」と捜査本部の人間に話している。
しかし、Lが確率を口にした時はすでに彼の中での疑惑は確かなものだっただろう。
直観は素早く解答を繋げるが、まだまだ不確かで説明しきれない。問題を明らかにしたい、その好奇心が先走り危険を省みず、真実を証明するための情報証拠集めと、ボケた皮肉で相手の反応を確かめながら確信に迫っていくL。
無意識との矛盾を捉え、真実を逃さず諦めない姿勢が、Lに似ているなぁと思った。
時々挫けることはあるけれど、私も自分の信じる道は諦めたくない。
世間との考え方の違い
私は時間に使われるのではなく、時間を行き来し波のように乗りこなしている感覚がある。
私の役目は遠くの未来の危機を警告し、それに備えて必要な対策を取り、根気よく方向を変えていく可能性にだけ集中している。
ILIに関しては
「ここは様子を見るために待て🫷」
「ここは退却した方が良い」
「今は攻撃した方が良い」機会を伺ったり
「根本的な問題はこれだ」特定したり
「どのくらいの時間をかけ、どのくらいで止めるか」何が最も効果的なのか、最短ルートを導くことが多いと思う。
頭の中に形成するビジョンは目的からブレないコンパス🧭の役割がある。
方針は私そのものだ、という自信が探究心や仕事の意欲に繋がるILIやLIEは多いだろう。
時間の流れや道行きに逸れるものは容赦なく破壊し軌道修正していく。
見過ごすわけにはいかないのは、そうなる未来が怖いから諦めて悲観的になるのではなく、自分が見通した未来に、今どうすれば良いか分かっているのに変えられない、結果何も変わらなかった、という未来への自分の無責任さに耐えられない。
だから、ビジョンを信頼しない人にとっては理解しにくく、横柄だとか心がないのか悪魔だという印象を与える事も多いかもしれない。
見ているところ、重視するところが違うだけなんだ。
もし未来を予測するなら、Niを信頼していたら、どう行動するのか想像してみてほしい。
未来に責任を持ち、現状を変えようと取り組まないだろうか。
多くの人は未来が見えず責任を持てない。
願いや期待を膨らませるのに傷つく事を恐れ自己保身に走り「どうせ」と諦めて現状にクヨクヨしている。
たとえ無駄な事であったとしても、変わろうとしない限り私達は何も変わらない。
生を諦め現実に目を背けるのは、生きながら死んでいるようなものだ。
現実を見つめないと時間には覚悟も責任も待てない。起こりもしないことをクヨクヨと気に病み、起こりもしない空想に耽ってお喋りをしていたところで現状は何も変わらない。
変えられない自分、超えられない壁はなく、日々目の前の課題に取り組み、自分に素直に生きたいと私は思ってる。
このように、時間軸においての個人の責任や使命感はガンマクアドラらしくもある。
ベータクアドラは統制されたシステムからの排除や混沌とした社会、独立した自由を嫌うため、集団意識が強く強固な階層社会を守ろうとするだろう。
クアドラが異なるので、同じソシオニクスNiでも思想やその考え方は異なってくる。
ベータNiは集団が基盤になった思想、より強固な集団の結束を説くような作品が多くなるだろう。
ベータNiが「力を合わせれば夢はきっと叶う」というような未来に夢や希望、宗教的、真実の愛、絶望を乗り越えていく過程を力強く描くミュージカル調やコミカル、美しい詩的な作品(ハッピーエンドや最期に救われるような話が多い)に対して
ガンマNiは「自由への戦い」「独立、自立とは」というように、過酷な現実に真摯に向き合わせ、繰り返される歴史、未来に起こりうる問題、人間の醜い部分や無意識について、残酷な現実から道を切り開くような作品(問題提起、近未来、群像劇、難解、真実の追求、悲惨な結末)が多い。
未来への方向性を描いた作品でもベースが違えば監督の伝えたい事や、作品のメッセージ性も変わるので解釈の参考にしてみると面白いと思う。
時間の繋がりと発信元
クリストファー・ノーラン監督の映画は、時間軸をテーマにした作品が多く、参考になることは多い。自分と同じ思考回路をそのまま映画化しているように思えるからだ。
先日観た映画『オッペンハイマー』は、主人公に感情移入し没頭してしまった。
ストーリーは時間を行き来して因果を繋げる(ソシオNi-Te)展開で、情報が多すぎて混乱する人も多いかもしれないが、個人的には普段の分析作業が省かれたので鑑賞しやすかった。
彼(オッペンハイマー)の記憶が私の中に共有されているような感覚になるのは、彼もまた時間の責任と苦悩を感じていたんだろうというところ。
ノーラン監督はインタビューで、オッペンハイマーの演説集から彼の苦悩にインスピレーションを受けたことを明かしている。
ネタバレはしたくないので、多くは語らないけど、彼は未来を知りながらその重い役目を自分の責任で引き受けたのだろうと感じた。
そして見通すことの責任の重さに私自身怖くなったのも事実で、責任について改めて考える機会をくれたと思った。
まだ観ていない人はぜひ観て欲しい作品✨
高次元との関係については映画「インターステラー」が分かりやすい。
映画の内容については、思考過程そのもので、ILIは高次元からの情報(直観)を言語化(暗号解読)し、時間軸での辻褄を合わせを頭の中で繰り返す事で論理的な道すじを作っていく。
私は、扉向こうの無意識領域にアクセスしてる自覚はあったけど、ENFJ(EIE)友は中学の頃から直観的な確信を徐々に得るようになったらしい。
この確信は「全ての時間が自分の中にある」という時間の流れに身を任せる感覚を自然に与えるが、非常に不安定な宇宙空間の中で置き去りにされてしまうので孤独を感じやすい。
私の場合、自分の想像力によって精神が発狂し感情が暴走しないように、精神統一でバランスを保ち続ける制御が必要だった。
だから誰に言われる事もなく小さい頃から自然と感情と理性のバランスの取り方を修行していた🧘
「インターステラー」は時間の場所を明確にしてくれた作品だなと私はとても感謝していて、直観にアクセスするために私の精神はここでバランスを取っているんだな、私達はここに存在しているのかと、ここにいるのは私1人ではないととても勇気づけられた。
ILIは時間軸を超えた因果関係を直観的に把握し、時間軸に沿って戦略的ビジョンを構築していく。
EIEは、時間軸に感情の彩りを乗せた対応で雰囲気全体を指揮するように誘導(感情の安定や起伏に飛んだ遊び心)に働く、主導Niと創造Niの違いがある。
ソシオニクスNiの情報要素の質問
情報要素の質問というのがあったので答えてみた。
①人々がどのように変化しているのか教えてください。これらの変化についてどう思いますか? このような変化を他の人達も認識していると思いますか?
AI技術の進歩に伴って、人々は自分の嗜好するものを自分の好きな時に見たり聞いたり、情報を得る事ができる。スマホを触ればお気に入りの画像、動画、好みの曲、好みの店まで私達を導いてくれる便利な時代。
しかし人々は、自分の力で情報の目利きをしているのか、自分で考え意思決定し動いているのだろうか、とよく考える。
相手の目を見ず画面を見つめる人々、暇つぶしのSNSやダラダラと続けるゲーム、そして先延ばしにされる仕事や課題。
時間において適切な取捨選択ができず、目先の欲望に囚われ時間を潰している感覚は、時間が有限であることを理解しているだろうか?
リアルに興味を失い、人間そのものへの興味関心も薄い。
まるでバーチャル世界で、妄想的な夢に陥いり、先行き不安を抱える人が増えていることに私は危機感を感じている。物理的な関係性を欲し、孤独だと嘆きながらも、妄想の中で自分探しをする矛盾。
意思を失い欲望すら制御できなくなれば、いずれAIに意思決定を託し管理されるだろう。
今日着ていく服も、今日行く場所、今日の食事、友達も進路も就職も結婚相手もAIが先導する。
でないと目先の快楽で時間を延々と潰し、自分で考える力、未来を選び取る力を、脳は思考放棄しているのだから。
彼らの生きる指針、相談役となるAIの進歩は必須だろう。しかしその一方で、目的も意思もなく魂を失った人間をどんどん増やしている。
「自分に従えばいい」と言っても従う”自分”が不在では一体何に従えば良いのか分からない。
ただ多くを見過ごし世間に生かされ、動かされており、自分の意思で動いているのではないロボットのように私には思える。
私達が技術を利用するではなく、もうとっくに利用されている方であり、その自覚もない人は多いだろう。
自分が夢を見ているなどと、これが夢の中だと気が付いている人は少ない。
目に見えているものは本当に存在するのか。
無意識に飛び込む勇気があるだろうか。
真実を知りたいだろうか。
一体どちらを選ぶ?
色んな人に聞いてみたいな
② 時間とはなんですか? それについてどう思いますか?また、あなたは時間をどのように潰しますか?
私にとって時間とは次元に続く道。
何層にも枝分かれする道の分岐。
道は宇宙にある繋がりで、それぞれの座標を示している。生と死を繋げる、最初と終わりを繋げる道は、入口も出口も同じだ。
自分の道がある人は、踏み外したとしてもまたすぐに自分の軌道に戻るが、道すらない人はまわりに影響され右往左往し迷走する。
自分軸を失っているからだろう。
必要な時間の場所に私が存在するだけなので、時間を潰すという考え方はした事がない。
③ 物事の成り行きを予測するために外部の助けが必要ですか? これらの予測を信頼しますか?
自分の予測が私の全ての動機なので外部の助けはいらない。「こうした方が良い」という将来的なリスクに関するもの(進路、就職、恋愛、結婚、仕事上のリスクなど)物事の成り行き、見通し、先行きに関する相談や外部のアドバイスは全く必要がない。学生の時も進路指導などつまらないのでほとんど聞いてなかった。
私の道は当に決まっている。
物事の成り行きについていくらでも話が出来る。
自身のビションと予測のみ信頼しており、ここに関してはどんな反対意見があろうが、時間の管理者としての責任があるので、根拠を示し撤回させる自信がある。
④ 遅刻することはありますか? 他の人が遅刻することについてどう思いますか。
ほとんどない。(相手の時間に責任がある)
他の人の遅刻に関しては、時間的背景と因果をすぐに結び、相手の遅刻理由を察する。
待つのは問題ないが待たせるのは苦手。
⑤ 社会では、どれくらい遅くなっても許されると思いますか?
これに関しては許されないと思っていて、時間の流れに乗せるように調整している。
個人の遅刻とかそういう時計の話ではなく、物事の成り行きには既にペースやリズムが決まっていると考える。遅くなったら私が早めるし、早過ぎれば様子を見るように働きかける。
でないと目的が逸れて分岐が変わり辻褄が合わなくなる。時間には必要なタイミングが存在しており、私は時間の指揮者であって、メトロノームの役割がある。
⑥ 誰かと待ち合わせしている場面を想像してください。それぞれの場面ごとの心情や行動を答えてください。
a) 到着まであと 20 分の時
無心。本とか読んでる。
b) 到着まであと 5 分の時
無心。目的地まで行く。
c) 時間になったが、彼(彼女)はまだ来ない時
もう来るか
その辺の情報を入手しながら待つ
d すでに 20 分は経過しているが、彼(彼女)はまだ来ない時
時間、間違えたのかもな
連絡入れる
たぶん座りながらお昼寝😴💤
e) そしてそのまま来なかった…
日にち、間違えたのかもな
途中で事故とかあってなければ良いけど
連絡が繋がったら帰る
私としては”待つ”のは当たり前。
いくらでも待てるので別に怒ることもないし、時間の無駄とも思わない。時間は私と共にある。
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