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「giftedの援助とは」四半世紀の振り返り〜 27日のイベントから〜

27日は今年最後のイベント「giftedの集い」
登山の側ボスにDVDを見ながら話をしたいとお願いしていた。学校とは異なる場として土曜教室をスタートしたのが1998年11月それから四半世紀が経った。ギフテッドの臨床研究を本格化させて10年,ギフ寺を開いて4年。

いつの間にか高齢者に。そろそろ自分の取り組んできた【臨床】を振り返ってもいいかと。

カタギーに会場をおさえてもらい,北海道のS.E.N.Sの会とギフテッド応援隊にも声をかけクローズで実現できた。この年末にもかかわらず40名以上の参加があった。

DVDを見た後にボスがあれだけ語ってくれるとは・・・ただただありがたいですね。それにギフ寺副住職たちのコメント。ほんといい話が聴けた。
終えてから,話をまとめなければと思いながら凡人の頭では処理が追いつかず。キャパオーバーで唸っていた。

 Gifted臨床の出だしは土曜教室をスタートした頃。ユニークな子どもだった。色々抱えつつも,当時は高い知能があれば乗り越えられると考えていた。漠然と頭が良ければ苦手な部分も克服できるだろうと。小学校はなんとなく乗り切った。
しかし中学校に入り学年が進むにつれて様々な問題が続々。友達とのトラブル、荒れる日々。冷蔵庫がボコボコになりながらも進学校へと。そこから不登校、ピタゴラ装置作り,路上生活者問題と・・・きっとサインは小学校の頃から見えていた。
高い知能を持っていても順風満帆とはいかなかった。その後も嵐は続いた。

「支援」という枠組みの中で何が足りなかったのだろう・・・。

ボスの話を聞きながらゼミ形式でフリーで「臨床」について質問させてもらった。
その時「支援」と「援助」について語ってくれた。
ずっと「支援」という言葉に違和感を感じていた。支援は,不備のある部分を指導していく。でも援助は,持っている能力をうまく使えるようにする手助けすること。

一貫して「援助」にこだわってきた。
それを支えてきたのは,知識と経験と理解。
理解し援助するには知識と想像力が必要。そういうこと。臨床のセンスですね。

まだまだ消化できていないが。ひとまず書いてみた。
1月20日にはやみふねくんも参戦決定。より深い話ができるかと。
小学館の編集長から「ギフテッドの個性を知り伸ばす方法」が5刷になったと。ありがとうございます。

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