たつ 小学校教師

小学校教員 3児の父 自分の思いを言語化して発信

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最近の記事

剣道と教師

 剣道を子どもの頃からやってきて、学生の間は続けていました。この休みの間に高校の友人から誘われて地元の剣道の試合に参加してきました。個人戦ではなく団体戦なので、自分の動きがチームの結果につながることに緊張していました。大人になると緊張をする機会も減ってきますが、たまにはこんなふうに緊張するのもいいと思いました。  剣道で聞いてきた言葉が、教員をしていても聞かれるときがあります。守破離や遠山の目付、後の先、しのぎを削るなんかもそうかもしれません。日々稽古をする感覚は仕事でも必要

    • 頼まれる=試される

       学校の教員というのは、自分からなりたいと考えてなる仕事であり、仕事をもらっているため、自分の方が頼んでいる状況である。別に誰かに先生になるように頼まれたわけでもないし、自分がしたくてしているようなものである。  私がこの仕事をやり始めた頃、担任をもたずに学校に関わる時間があった。その前には、働いていない時期も、働き始めてからも、採用されない期間があった。担任の仕事がない時のしんどさや不甲斐なさを感じていたので、担任の仕事ができるだけで喜びを感じられる部分もある。  そうやっ

      • 校内研究のイニシャルコスト

         今年度の校内研究がスタートしました。提案が4月の1週目に設定されていたので、準備をすぐにする必要がありました。ただ昨年度との違いは、1年間勤務をしてきて、教職員の方々の雰囲気や動きもある程度分かっていること、私のことも、どんなことを大切にしようとしていて、どんな考えをしているか、研修の中で伝えさせてもらってきたので、ご理解いただけているところもあると思います。そういった土台がある中での提案でしたので、昨年は叶わなかった、学年で選択した教科で1授業以上公開を計画することができ

        • 子どもが悪いのか、環境が悪いのか

           子どもの問題行動とされること、例えば廊下を走る、学校のものを壊す、移動中に持っているボールを投げるなどは、子どもが悪いとされる行動であり、そのことについて頭を悩ませることもある。それが自分の受けもつ学級の子ともなると、自分の指導不足や至らなさとも捉えられる。ただ、最初にも書いたように、環境によって引き起こされることにも気を付けておく必要がある。  よくある話だが、お店で机の上に財布を置きっぱなしにしてトイレに行って、帰ってきたら隣の人に盗られてしまっていたとする。その時、も

          妻の復帰と働き方改革

           今年度より妻が教員として復帰しました。育休中は朝から子ども達の用意をしてくれて、帰ったらご飯の用意もしてくれていて、子ども達に大きな不便を感じさせることも恐らくなく、楽しく過ごせていました。できればこんな生活がずっと続けばと思う気持ちもありますが、妻の生き方も応援したいし、これからの始まる生活を、二人で働き二人で家事をして自分と我が子と家族とみんなで幸せになっていけるようと考えています。  家事の時間はもちろん、自分達が安定した生活をするために必要な時間です。でも、できれば

          妻の復帰と働き方改革

          よりよい教室:職員室にするために

           よりよい教室づくりを実現していくためには、関わる教員が健康的で前向きに仕事に取り組もうとすることが必要です。マズローの欲求5段階節で言うなら、下から4つ目の承認欲求が満たされることで、自己実現、自分が子どもにとってよいと考える指導を継続していくことができるのです。しかし、今までの職員室を思い返してみても、承認されていると感じているかは本人にしか分かりませんが、私も含めて、いつでも承認されていると感じられる人の方が少ないとも思います。心ない言葉に傷付けられたり、反対に傷付けて

          よりよい教室:職員室にするために

          どれだけゴールをイメージできるか

           1年間が終わろうとしている今、クラスの子達を見ていて、自分が4月に思い描いた3月の姿に近づいていると感じるところもある。1つは思いやりのある自治的集団、もう一つは自分の思いを表現できるクラスと目標を設定した。優しく、声をかけたらすぐに動き出せる、話を聞ける、自分達で考えて動くことも少しずつできるようになってきている。学級会や授業の中での話し合いでの発言も増えた。話しにくい子も書くことで表現できる。振り返ってみて、初めにイメージした方向には進んできていて、こちらの期待以上に頑

          どれだけゴールをイメージできるか

          校内研究を綴じる意味

           今年度の校内研究の1年の足跡を1冊の冊子にして綴じることは、人によっては選ばない選択肢だと思います。研究主任を経験された方が、「紙で綴じる意味がわからん。意味ないし誰も読まないし。」と話されていたのを聞いたこともあります。研究発表を行う場合は、参加者に配るように綴じることもあると思いますが、先日参加した研究発表会では、指導案も研究冊子もすべてQRコードで読み取る形にしていて、令和において必ずしもしないといけないわけではないようです。それを知っていてもなお、原本を用意し、、ペ

          校内研究を綴じる意味

          卒業式の練習は何時間?

           卒業までのカウントダウンを穏やかにできているのは初めてかもしれません。私にとっての6年生担任はよい思い出ばかりとは言えません。子どもはもちろんかわいい存在ですが、常にかわいいかというと、そうではない表情を出すこともあります。子どもらしくかわいい表情というのは、自然発生的にできるものではなく、そういう表情ができる環境にあるからです。どの子も、環境や関わる人によって、人格的に心配になるような行動や人を傷つける姿を出してしまうことがあります。目の前の子がかわいいと思えるのならそう

          卒業式の練習は何時間?

          研究主任としての私の仕事

           現在今年度の校内研究のまとめをしています。まとめるときには、今年度はこうだった、だけでなく、だから次はこうしていくというところまで考えておく必要があります。来年度の学校長や研究主任がまだわからない中で、「来年度」について考えていくことに難しさがあって、学校長次第で今年度の流れがぶった切られて、「この方向で」となることもあるでしょう。また、次の研究主任に1年以上かけて引き継いだのに、新しい管理職と上手くいかず、研究が滞ってしまった経験は、私の心にずっと引っかかっています。  

          研究主任としての私の仕事

          叱るとか叱らないではなく…

           叱らない指導は幻想で、叱ることも必要。  叱ることはマイナスでしかなく、叱らないで指導することが必要。 どちらも正しいようですが、どちらかが正しくないのでしょうか。  私は多く叱らずに指導できている今の自分の方が好きですが、それは子どもの達の実態があるから、そのように行動できているだけなのかもしれません。また来年度に新しい子ども達に出会えば、また叱ることが増えていくことも十分あり得るとも思っています。  叱ると叱らないがゼロか100かで考えると、どちらか一方が違うように感じ

          叱るとか叱らないではなく…

          学級通信の効果

           1月から学級通信を出し始めました。  昨今、働き方改革として仕事の内容を精選することが進められ、学級通信もその対象として、無くしていく方向になってきていると思います。よくあったのは、B4の左側に家庭へのお知らせや子どもの学校生活について、右側に次の週の学習予定表を載せて発行する形でした。前任校も現在の勤務校も学級通信は縮小され、学習予定表の下の部分にお知らせを入れる形が基本となっています。  私は今まで、B4の学習予定表に名前を付けて、学級通信として出すこともありましたが、

          学級通信の効果

          息子の成長と父の苦悩

           近くのショッピングセンターでのことである。  その店舗で様々な運動に親しめる催しを行っていた。実は3カ月ほど前にも別店舗で行われていた同じ団体の催しに参加していた。その中は、事前に予約をして人数制限をして行う運動があった。上の娘はそれに参加することができていたが、上の息子(4歳)はその周りに多くの人が見ている中で運動をする環境に不安を感じたようで、そのために車で30分ほどかけてその店舗に行って申し込みをしたのに、結局少しも参加することができなかった。その時にも言葉を尽くして

          息子の成長と父の苦悩

          他責と自責のバランス

           小学校の教員をしていて、何かうまくいかないことがあった時、例えば子どもが指導をしても行動に変化が見られず問題行動を繰り返したり、授業が計画通りに上手くいかなかったりした時、どのように考えるのかが大事だと思います。問題を相手や家庭のせいにして責める他責と、自分のせいだとする自責とどちらで捉えるほうがいいのでしょうか。  どちらが正解というわけではないと思いますが、若い頃の私は子ども・家庭の責任にしてしまうことがあったと思います。口では自分が悪いと言いながらも、心では自分はや

          他責と自責のバランス

          私と本

           国語の教科書にありそうな題名ですが、自分と本との関わりから、読んでいただく方に1つでも考えていただけることがあればと思って書きます。  私は子どもの頃から本を読むことを継続してきたわけではありません。読むことが好きになったのは高校生の頃です。高校の頃の友達がよく本を読む人で、彼の影響から図書館に通うようにもなりました。その頃は小説以外の選択肢はなく、図書館にある本から選んで読んでいました。その頃のおかげで、本を読むことに抵抗はなくなりました。  その後からこの仕事に就くま

          テイカーではなくギバーになる

           校内の研修を担当するということは、校内の先生方の時間を年間を通して奪うことと同じです。公開授業を年間で8本したとして、年度当初の方向付け、夏季研修、年間反省などを合わせると、30時間以上の時間を使うことになるし、普段の取組を入れればもっと時間を使ってもらうことになります。  その時間を自分が若手と呼ばれる頃にどのように過ごしていたかというと、自分が公開授業をする時は、長い時間をかけて準備をして、形を整えてもその時間で終わりの単発の取組にしてしまったり、自分の授業でなければ遅

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