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「なんか、つまんない」

オッケー!バブリー!な、時代をちょっと齧っている私。
後に続く就職氷河期の皆さんには想像もできないくらい簡単に仕事は得られた。新卒で就職した大手メーカーでは、ため息しか出ないクソ暇な日々。金余りのバブル期のメーカーの女子社員なんてお嫁さん要員だ。

あまりに暇で、デスクで新聞読んでたら課長に怒られた。

そんなこともあり、2年目には転職しか頭になかった私。三年辛抱して、転職活動した。
今じゃ考えられないだろうが、当時は女性向け転職雑誌もあって、よりどりみどり!ワクワクしながら、せっせと応募した。

本命は、仕事させてくれそうな小さな会社と、外資系。ヒマ死にしそうな日々は嫌だったから。

いくつかあたるうちに、大本命はA社だけど、ダメならB社、という状況になった。当時は郵便で書類選考結果が来る時代。ヤキモキと待って、先に来たのはB社だった。かくして、B社の面接に行くと、即日採用となった。そこは小さな翻訳会社で、翻訳補助から始めて、ゆくゆくは翻訳メインの職員になれるとのことだったので、手に職つくかな、と期待していた。

翌日から意気揚々と出社したが、なんか雰囲気が暗い。直属の上司はまだまだ若い感じ。まぁ、仕事さえさせてくれたら、それで!と思った。

電話が鳴ったので取ると、バブル期らしい「ゴルフ場会員権の営業」だった。直属の若い上司宛にかかっていたので、保留にして「お電話です」と言うと

「そういうさ、営業の電話、繋がないでいいから。適当に切っちゃってよ!」と言われた。

は?

って思った。

は?
あんたに電話だよ。
適当に?切る?
そういうことは、あんたに専属の秘書がいたら、秘書がやることだろ!

って
思っちゃって、もうダメだった。
その日は、うちに帰るみちすがら、ずっと悶々としていた。

帰宅すると、なんというタイミングか、大本命のA社から、面接する!という封書が届いていた。私は迷わず翌朝B社の直属の上司に電話して
「すみませんが、やめさせていただきます」
と伝えていた。大本命のA社に受かる保証は米粒ほどもなかったけど、クソみたいな横柄な上司の下で働くのは耐えられなかったから、なんの躊躇もなかった。

本命A社の面接の時、道に迷った。
結構遅れてしまってから電話して、「ここまで遅れてしまって、申し訳ありません。面接拒否されても致し方ないと思っています」と伝えたら、とにかく待っているので来なさい、と言ってくれて。

最終的に、私は奇跡的に大本命のA社に採用となった。

今にして思う。
縁のある会社とは、あらゆる困難を超えてつながるのだな、と。
だから、今、就活、転職活動している人は、どこかの会社に不採用になっても自分を卑下したり責めたりしなくていい。

縁が
なかっただけ

縁のあるところとは
なんだかんだあっても、繋がる。

だから、大丈夫。
これは実感として、ほんとに感じたから。
必要としてくれるとこは、探せば見つかるものだと思った。

翻訳会社は、三日と経たずに辞めた。
なんか、こいつと仕事すんの?つまんねー!と思ったら、おしまいよ。

仕事そのものよりも
人間だ
そこにいる人間が、自分から見てどうか、ということの方が重要だとわかった転職活動だった。



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