神という存在について腑に落ちた気がする

一気に気圧が下がったことで調子が悪い。腕が変に筋肉痛なんだけどどこから来たんだろう・・・と思って打ち込んでいたら思い出してしまった。これは後で書こう。

昨日の夜は久々に嫌な夢を見て重苦しい気分になった。
ビルの上層階から外を何気なく見たところ、雨が降り、雷が落ち始めた所で上から大きな隕石が近くに落ちてきた。建物が壊れることはなかったけど衝撃が身体に届きそのリアル感が何とも言えなかった。

父親は今は病院にいるから大丈夫。実家に母がいるから母の様子を見に行かないとと家に入って、声をかけた所で目が覚めた。

目覚めは最悪だった。夢の中で受けた衝撃がまだ身体の中にダメージを与えているようで頭が混乱している。息も浅く、不安感も強かったので寝ることもしばらくは出来なかった。台所で水を飲み、布団に戻った所で思わず夢占いを調べた。

そうして調べてみると隕石が出てくるのは状況が大きく変わる状況で、強いストレスが影響しているとも書かれていて思わず合点がいってしまった。

昨日は父と久々に直接面会をした。そして在宅介護を想定して介護の体験もさせてもらった。この腕のだるさはその時の体験から来ている。
父の兄にあたる叔父さんと母と自分の3人で今回は面会。その際に取り留めのない話しをしていた。
母と自分だけだと、ちょっと重くなりやすくなるからこうして叔父さんがいるだけで昔、父と父方の実家に行って叔父たちとたわいのない話しをしていた雰囲気にもなり、この時間が良いなと思わず感じた。

父の表情は今日は比較的柔らかい。それでも自分が面会に入る前に母が介護体験をしていたことで父は大分体力を使ってしまったのかすぐに目を閉じる様な仕草をしてしまう。そんな姿を見ていると父の姿は祖母の姿と重なる。
そしてそう感じてしまった時にどうしようもなく意識してしまった。父はもう家に戻ることは限りなく難しい。それこそ奇跡でも起きない限りは。

父の目からは戻ろうという所までの意識が感じられない。今を生きていることを受け入れてるように思う。「どこで生きる」では無く「今生きること」に軸がある気がする。

届かない。

自分や周りがどれだけ求めても動かすことが出来ない事実が目の前に生まれたように思う。自分の人生に間違い無く影響を与えた大切な人が失われることがどうしようもないものとして、強い喪失感が自分を襲う。
この感覚は憶えている。小さい頃に兄が亡くなった時だ。
前日に病院まで一緒についていって、翌日親戚の家から実家に戻った時、そこには葬式の準備がされていた家の景色が見えてしまった時に生まれた感情だ。

次は2週間後に父と会う約束をした。でもその2週間がとても遠いものに思えてしまう。その間に消えてしまうような。
面会時間を終えて帰ろうとする時に握った手を離さないようにしてきた父の手の力が今も思い出すことが出来る。

まだ生きてはいるが近くまで来てしまった身近な人の死について今色々と考えさせられる。そして母方の実家の神道について思いが浮かぶ。
神道では亡くなった人は輪廻転生では無く、神となり家を見守ってくれると言う。
これが自分の中で今しっくりきている。

去年頃から父の様子が悪くなりはじめ、その頃から意識していることは父に恥じをかかせない生き方をしたい。安心できる生き方を自分はしたい。そう思って過去に投稿もしていたように思う。
愛情に対してきちんと向き合いたいというものから自分は考えている。

神というものは何か。そんなことを最近はイベントで話すことをしている。
そこの自分なりの解としてこれが綺麗に嵌る気がした。
神は自分に何かするものでも無いし、救いもしない。
それでも神が自分が恩を感じた存在であるならば。そこには確かな道しるべがあって、進む気持ちの源泉にもなり得る。関係性が深いほどにその神の意思(自分が思っているその人の生き様)を背く生き方もしないし、どこまでも影響力がある。

ようやく自分なりの神という存在が分かった気がする。

主に自分に向けた内容メインとなりますが、見てくださった方に何かしら響くものであればそれもまた良かったと思います。サポートして頂いた分は考えを深めるものに利用していきます。