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大志の半生


1994年岐阜で生まれて
岐阜で育つ。
専門学校での
スポーツトレーナーの道を諦め、観光の道に。
旅行系の専門学校に進み、
国内旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者
の資格を取る。
USJで働きたいと思いながら就活するが叶わず。。

専門学校卒業後、
長野県立科町白樺湖のホテルで接客業のイロハを女将より学ぶ。

大阪でテーマパークの人として躍動。トレーナーやったり、
ハロウィーンで踊りまくったり暴れまわる。
MVPなど何回か表彰される。
インバウンド(訪日外国人旅行客)に多く触れる。
ここで岐阜でインバウンドのガイドを
したいと思うようになる。

石川県山代温泉にて温泉旅館の仲居になる。
インバウンド対応を多く任され、
多言語でのメニュー表などを勝手に作り
ゲストに喜ばれる。
しかし寮の3階から落ちて骨盤を折り、
肘も折り、前歯2本も抜けるという大事故を起こす。
半年以上休養。
休養中にインバウンド観光の講義に参加し
日本の観光を変えていきたい、
岐阜の観光を盛り上げていきたいと発起する。

そこから稼ぐ力を身につけなければと思い、
東京でネットワークビジネスをする。
酸いも甘いも酸いも経験する。
東京で上手くいかず、うつ症状の為実家で
しばらく療養。

自分に向いている仕事は観光の接客だと思い、
新たな働き方を探す。
リゾートバイトに出会い、
北海道洞爺湖のホテルでドアマンとして
様々なVIPの応対や多様な車種の運転移動を経験。
非公式→公式で洞爺湖観光大使になった
某ハンバーガー屋さんからのアドバイスを受け、
自称岐阜観光大志襲名。

人生で最後にテーマパークに
また戻りたいと思い、
半年間と決めて復帰を決意。
大阪で免税対応の人としてテーマパーク復活。

2020年2月まで勤務し、
京都の旅行会社兼日本文化体験施設に
内定していたがコロナショックの影響で
勤続出来なくなる…
仕方なく派遣で携帯販売、
営業の仕事で生き抜く。

同棲してた彼女とも別れ
自由に動けるようになった僕は
また福井県の芦原温泉でフロントに立つ。

岐阜県で探していたお仕事…
ようやく高速道路SAの販売のお仕事を見つける。
岐阜市近郊で仕事を探しながら郡上市で働く。

ようやく観光案内所のお仕事を関市で。。
その際に関市地域おこし協力隊に応募するが
最終選考で落選…
諦めず関市で仕事を探していると
公共施設の管理人のお仕事の声がかかる。

大志はその後どこへ行くのか、、
岐阜を繋ぐ場所。中濃でお仕事させてもらいたい


さて、僕の一番大事な時期が今始まる。
仕事を続けていなくても、僕は生きてる。
生かしてもらってる。
事故で2回くらい命を落としたと思ってる。
今の僕に死ぬより怖いものはない。
じーちゃんばーちゃんがまだこっち来るなって
言ってくれた。
なんで岐阜帰ってきたんだよ。
岐阜に住んでる人の
シビックプライド上げたいんやろ?
岐阜に住んでる人に
岐阜の良いところ知って欲しいんやろ?
岐阜県外に岐阜の良さ発信したいんやろ?
やるしか無くない?

一人でできることは限られる。
僕には人と話す力がある。
元気にできるとか笑顔にできるとか
そんなん二の次。まず話しかける、
挨拶を自分からする。
そこから始める岐阜人(Gifuto)大志の物語。

僕の社会人生活。薄くないと思う。
履歴書にすると良くないと思うよ。
でもそんなの関係ない。
僕は岐阜を愛し続ける。
岐阜にも人にも与え続ける。
それがGifuto(岐阜人)大志。



長文読んでくれてありがとうございます。

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