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少女邂逅を観た

枝優香監督の作品『少女邂逅』を観た。

あらすじ
いじめをきっかけに声が出なくなった小原ミユリ(保紫萌香)。自己主張もできず、周囲にSOSを発信するためのリストカットをする勇気もない。そんなミユリの唯一の友達は、山の中で拾った蚕。ミユリは蚕に「紬(ツムギ)」と名付け、こっそり大切に飼っていた。「君は、私が困っていたら助けてくれるよね、ツムギ」この窮屈で息が詰まるような現実から、いつか誰かがやってきて救い出してくれる──とミユリはいつも願っていた。
ある日、いじめっ子の清水に蚕の存在がバレ、捨てられてしまう。唯一の友達を失ったミユリは絶望する。
その次の日、ミユリの通う学校に「富田紬(つむぎ)」という少女(モトーラ世理奈)が転校してくる───。
(公式サイト http://kaikogirl.com/ より)

痛いほどの現実が描かれていながらも、同時にはじめは夢だと気づかない夢が、現実を侵食していくような感じ。

「蚕」「繭」のイメージが繰り返して使われている。自分の繭にこもり誰とも仲良くなれなかったミユリ、ミユリが見る夢。また、タイトルの「邂逅」「蚕」のイメージを連想させる。彼女たちの学校の授業で蚕の成長観察の授業があり、国語で扱われている小説はカフカの『変身』だ。

蚕は成虫になるときに繭の糸を切って使えなくしてしまうため、成虫になる前に殺してしまうらしい。成虫になったとしても飛べないし、口はなく、すぐに死んでしまう。
(繭から糸をとるため)外側にしか価値がない蚕と、少女の類似がミユリの夢の中で綺麗に描かれている。紬は蚕であり、外側(繭)にしか価値がなく、きっと虫のように痛覚もない。

ミユリに生まれ変わったら何になりたいか聞かれて紬が「きちんとした人」って答えるところがぐっときた。悲しくて最高。

窓とカーテンの間で紬にミユリが口紅を塗ってもらうシーンと、自転車で二人乗りをして帰るシーンがとても好きだった。

作品終盤で、紬が餓死で死んでしまうのも彼女が蚕の象徴だからだ。紬の存在にミユリは助けられたのに、ミユリは彼女に何をしてあげられたんだろう。

作品は、大学に通うため上京する電車の中でミユリがリストカットをするシーンで終わる。作品冒頭の授業のシーンで、リストカットをしてしまうのは変身願望なのだと教師が言ったのが頭をよぎる。
最後のシーンは、絡みつく自分の繭の糸を切って、成虫になる瞬間だったのかもしれない。

『少女邂逅』http://kaikogirl.com/

ポスターに書かれている「君だけでよかった。君だけがよかった。」がとても好き。



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