しりたいことがふたつある

 そして、しりはふたつにわれている。
おしまい。


あとは蛇足である。
蛇足というのは「蛇には本来無いはずの足を描いちゃった。だって超絶技巧で高速描画できちゃったから。ほれ、ちょちょいのちょい」とかいう昔話に由来した言い回しであったはずである。たぶん。ほんまか。知らん。
言い換えれば、要らぬものということである。これは合ってると思うよ。




 最近になって気になり始めたことではないけれども、肩書きに見合った能力を持たない人ほど、高圧的だったり権威を笠にきた態度を取る。その態度によって何か物事が前に進むのかというと、まったくそうではなくて個人的なわがままを通して気分がいいと言うだけの話である。癇癪を起こして他人を萎縮させることが仕事なのであればそれでよいのであるが、仕事というのは基本的に他人の利便のために存在するものであって、自らの存在を誇示するものではない(銀幕のスターなんかであればそういう"存在を誇示する"仕事もあるのだろうが)。そういう人が一定の割合でいるのは世の常であるとして、とある立場にいることが、そういう空疎な振舞いをしてよい権利を与えると勘違いするのはなぜなのだ。わたしにはわからないのである。複数の人間がいて上位下達がうまくいかないために、あるいはそれを最も簡便な方法で行うために地位や権力を濫用するのであれば、それはそれでひとつの道理である。ただその場合、根本的なひととしての能力が欠如しているという指摘は免れないと思うけれども。

 そういえば日本ではその類の上位下達組織は数十年の間、さしたる疑いもなく運用されてきた。ここ最近はそういう組織制度の不具合の方が前面に出てきた気がしていて、世の中で求められている対象、人々の関心の対象が変わったのだろうと思う。今の関心事は2つある。

ひとつめは、日本的な上位下達組織の完成に至る権威と権力の推移。

これは、どうして日本の組織はその規模に関わらず(われわれの感覚からすると)昭和の軍隊的組織を是としてきたのか、と言い換えられる。それがマイルドになって戦後復興を推し進めてきたと言われているし、良い面もあったのだろう。知りたいのはそういうことではなく、その手の組織の運用がなぜ過去の長い間疑問を持たれなかったのかである。昭和の軍隊はその前の日清日露戦争における、ある種の"成功体験"が元になっているのかもしれず、しかし一方でその頃から日本軍は精神性が情報論理よりも上位にあって、拙劣な行動を行なっていたとの記録もある。戦争における上位下達組織は、能力や実地情報よりも、上官の気魄や「天皇の威光」を振り回す権威によって支配されていたように思う。そういう論理立てをしたのは、西洋列強に飲み込まれまいと必死に帝国主義の手法を学び、それを大日本帝国の体裁として運用した明治の先人たちであった。その先人たちは天皇を頂点とする日本国家を現代から見てもわかりやすい形で作り上げた。なぜわかりやすくなければならなかったかといえば、それを欧米に示し、日本は天皇を中心としたウェストファリア的主権国家ですよ、と言わねばならなかったからである。その明治に至るにあたって討幕という現象があったが、じゃあ天皇はそれまでいなかったのかといえば日本の制度としてずっと続いていたのである。江戸時代においても幕府と天皇(朝廷)が並び立っていたのではなく、形式上幕府は天皇の下にあった。天皇の権威の下にあり、権力を握っていたとも言えそうだ。そうであったから、江戸時代の幕末には幕府が朝廷に外国からの要求にどう回答すべきか相談する、ということが起こった。江戸幕府というのはそういう仕組みのもとで運営されていたのであって、それは江戸幕府だけではなく、そのまえの戦国時代であっても室町幕府であっても天皇を担いでその権威のもとで幅を利かせる構造は変わらない。それは武士の時代の幕開けとなった鎌倉時代からのものだ。どうして武士はこの国の「天皇制」という構造を転覆させなかったのか。ひとつには単純に権威を利用するというメリット、もうひとつには文化的な劣等感があったのではないか。階級の差は生まれの差でもあって、生まれ育った環境の違いが振舞いの違いを生む。その違いは制度で上書きできるものではなく、武士は常に天皇周辺の文化に遅れを取る構造とならざるを得ない。戦国時代に武士は茶の湯や舞を好んだという逸話が散見されるが、それは武士の文化的な劣等感からきたのではないだろうか。腕力だけで国を制圧できたとしても、その後の統治は腕力だけでは不可能である。読み書き算盤ができなければならない。決まり事を議論して決める、納税額を計算し管理する。その基礎的な能力は当たり前のようにあって、その土台の上に乗る文化という価値。和歌を嗜み、漢詩を作り、楽器を奏でる。それには相応の素養がなければならない。それは日本において圧倒的な価値であった。その種の文化は鎌倉時代の到来に至る武士の興りとは別軸で成熟してきたのであって、これらの文化を先導して磨いてきたのは藤原氏であった。藤原氏は天皇家と切っても切れない関係にあり、なぜそのような関係性を築くに至ったのかを知るには、たとえば藤原定家の周辺を知ればよいのか。しかし彼はすでに「やんごとなき」身分であり、そこに至るには相応の理由があるはずである。摂関政治を知ればよいのか。摂関政治がある日突然誕生したと考えるのは不自然であり、そこに至るにはそれ相応の土台があるはずである。そうやって上流へ上流へと遡っていくと、藤原不比等、藤原鎌足に行き着いた。その先は無い。では藤原鎌足の周辺を知れば良いのか。彼が関与した大化改新後、日本は古事記や日本書紀、続日本紀が編纂されて、国家としての体裁を整えたように思える。天智天皇以降の日本は、それまでの蘇我氏を中心とした政治体制を覆すものであって、そこにもそれ相応の理由があったはずである。日本で遡れる文献である古事記と日本書紀が誕生し、その後古事記をうけて万葉集が誕生するには当時それなりの必然性があったはずで、その必然性や美意識にこそその後の政治体制や文化につながる「日本人のふるさと」があるのではないかと思ったのである。それを明らかにするには、大化改新前後での価値観の変化、統治体制の変化を見ておかねばならない。藤原氏のことを調べてみたいと思ったところ、その手前の蘇我氏にまで遡ることになった。

ふたつめは、貨幣価値だけが絶対視され、時間軸が無視される現代の価値観の成立経緯について。

こちらの方が現代的でわかりやすいかと思ったところ、さまざまな切り口で考えられそうな気がして、クリアカットに語ることはできないと思う。そのひとつの現象として、日本的な価値観である「権威や地位の絶対化とその濫用」という論理の外側で生きる人の増加があり、ひとつめの関心事である「上位下達組織」の崩壊が実際に見られるようにも思える。貨幣価値のみを絶対視する価値観に自らの軸足を置くことで現状のさまざまな個人の不満につながっているし、それは昭和の時代からいろんな人が折に触れて「警鐘を鳴らす」などしてきたと思うのだが、わたしは残念なことにいままで慣らされてきた警鐘の音を聞いたことが無い。除夜の鐘でもなく、祇園精舎の鐘でもない。警鐘はどこにあるのだろうか。ウーカンカンカンというのは聞いたことがある。わたしはふざけているのであろうか。いつも真面目である。ウーカンカン。現代的な価値観は、その中にいると見えづらいけれども、いくつかの事象を通して考えてみれば筋の通った理屈でみんな動いているのだ、と考えられるのではないかと思う。その理屈はシンプルで誰にでも理解できることだと思っている。たとえば少子化、過疎化、渋谷のハロウィン大騒ぎなど、個別の事象として考えたらそれはそれで面白いのだと思うけれども、その背景にある貨幣価値の絶対崇拝が理解できれば、そりゃそうだよね、という結論に落ち着かざるを得ないと思う。このあたりはわたしみたいな限界集落在住の者よりも、立派な社会学者や人文科学の専門家がたくさんいるので、そういう方の御高説をお聞きになる方が正確で深い理解に到達できるのではないかと思う。

しらんけど。




この文章をブチ込んで、AI先生に「もっと読まれるように」貴重なアドバイスをいただいてみたよ。矢印以降は、わたしの意見でございます。
愚見。ぐー拳。グーパンチ。

  • 文章の冒頭が不明瞭なので、具体的な内容をすぐに伝えるように変更してみませんか?読者が最初から興味を持ちやすくなるでしょう。
    →具体的な内容はありませんので、むりです。

  • 文章が長いので、パラグラフを分けることで読みやすくなるかもしれません。各パラグラフは一つのアイデアに絞り込んでみてはどうでしょう?
    →何も考えずに書くと長くなるけれどもそういう思考のリズムのまま文章を遊ばせる癖があるのでしょうがありません。よくない癖ですね。プレゼンテーションの資料ではそんなことしませんよ。ふへっ。

  • 読者が共感しやすいような具体的な例やエピソードを挿入してみませんか?実際の経験やデータを交えることで、より説得力が増します。
    →具体的なエピソードって、何? 史実とか克明に書くの? 今更? 説得力が増すのか。誰に対して?

  • 文章の結論がはっきりしていないように感じます。読者に、この記事を読んだことで得られるメリットやアクションを明確に示してみてはいかがでしょう?
    →結論がある文章と、そうでない種類の文章って、あるよね。ありますよね。AIも使いようとは言うものの、低い精度の範疇でよくがんばったと思います。

  • 制約条件で定められた単語は避けるようにしてください。代わりに、より魅力的な表現や言葉遣いを使ってみると、読者がより興味を持つかもしれません。
    →「制約条件で定められた単語」という言葉遣いは、読者にとってわかりにくいように感じます。代わりに、より魅力的な表現や言葉遣いを使ってみると、読者がより興味を持つかもしれません😊