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【ピリカ文庫】大寒を過ぎて

「そろそろいこうよ、初詣」
と妻が言う。一月の下旬であった。哲生てつおはまだ部屋になじまないカレンダーを眺めて
「今年もそういう時期になったか」
背伸びをしながら独り言のような声をだす。妻は続ける。
「そうだ、今週末の天気、どう?」
「傘は要らないみたいだな」

 一月末の初詣。それは世間的に初詣とは言わないのだろうが、年が改まって初めて神社へ詣でるのだから、そうといえなくもないのだった。
 哲生も妻も昔から人混みがきらいで、年が変わる瞬間にわざわざ神社へ行こうとは思わなかった。成人式が終わったタイミングで参詣した年もあったが、参道や境内をはじめとした神社一帯にはまだ年始の熱気や混雑の残り香が感じられた。境内は静かなものだという価値観を持ったふたりはその雑然とした雰囲気をきらってこの時期を選んだのだった。哲生には、旧暦の正月はいまの二月なのだから、そこまでなら初詣といったって構わない、という彼なりの理屈もあった。


 出かけた日は晴れていた。テレビに映っていた喧騒からひと月近く経って、境内は静けさを取り戻していた。大きな鳥居からまっすぐ続く参道では、目立たない作業着の男性が長い竹箒たけぼうきを右へ左へ大きく往復させて落ち葉を脇へ払っている。参道に敷かれた玉砂利は埃もたてず枯山水のような扇を描き、落ち葉だけが一直線となって脇へ並んでいた。一見すると誰にでもできそうな作業のなかにいくつものコツがあるように思える。淡々と繰り返されるその作業を哲生が見ていると、妻は彼のほうへ振り返り「お参り、行こうよ」と言った。

 世間のコロナ禍が落ち着き、手水舎ちょうずやにあった覆いが取り外されている。水は冷たい。哲生と妻は同じような呼吸で左手、右手と順に洗って口をすすぐ。ひとつひとつの動作を積み重ねていくことで、身体が「神社にきた」という感覚となじんでいく。
 その後ふたりはだまったまま社殿まで進んだ。この静けさを聞きながら自分たちの柏手を打つ音だけが響くと、頭を垂れて祈る行為によって神と対話する通路が開かれたように思った。瞑っていた目を開けると、鳥の声や木々を揺らす風がきこえた。

 社殿から少し歩くとおみくじやお守りを並べた社務所がみえて、その脇にある大きなくすのきの裏側には絵馬の奉納所があった。妻は顔を絵馬に近づけて、そのひとつひとつに書かれた文字を見ている。
「合格祈願の絵馬、ここも多いのね」
「学問の神様だけだと足りないのかもよ」
「祈ったからって合格するものでもないのに」
「まあ、来たからには一生懸命に祈願するだろうな」
「そうね、絵馬なら500円分? 1000円分のお祈りかしら?」
それを聞いた哲生は反射的に
「金の問題じゃないだろう」
と言った。妻の感覚は、支払った金額分の対価を要求するという意味で現実的といえるが、その対象が祈願となると話が違うのではないかと感じたのだった。少し感情的になったか、と思った哲生に妻は
「地獄の沙汰も金次第っていうじゃない」
と言ってあっけらかんとしている。
「いや、ここは寺じゃないんだから」
「どっちだって一緒じゃない、神社とお寺なんて。どこが違うの?」

 願いごとが奉納された絵馬のまえで口論をはじめる絵を想像すると、哲生はばかばかしくなった。ひと呼吸おいて彼は神社と寺との違いをかみくだいて妻へ説明しようとしたものの、彼の言葉は平凡な知識を出るものでなかった。とはいえ鳥居があるかないか、まつられているのが神か仏か、というわかりやすい特徴を並べただけの説明には意図しない説得力があったようで、さっきまで祈りの効果を値踏みしていた妻は彼の説明をしきりにほめた。妻のこういったある種の単純さ、純粋さに自分は今まで何度も助けられてきたのだと思うと哲生の心は幾分軽くなった。

 社務所に若い男女がやってきた。それぞれが絵馬を手にして真剣な面持ちで相談し始めたのを、哲生と妻は眺めていた。神社になじまない雰囲気の二人はきっと受験生だ。これから大学受験へ臨むであろう彼らが奉納する絵馬には、サインペンで真剣な願いが書かれるのだ。合格祈願。不確かな未来を前にして、そうあってほしいという願い。彼らは絵馬を奉納する対価として合格を得たとは思わないだろう。祈願とはもっと純粋ななにかであるはずだ。眺めながら哲生は、妻やあるいはもっと多くの人間から当然のように値踏みされる絵馬や祈りのことを考えていた。

 子どもの頃、お賽銭といわれて親の財布から渡されたのは五円玉だった。これっぽっちのお金で願いごとをするなんて、という自分に親は「ほら、"ご縁五円"があるように」と言うのだった。哲生は彼なりに「金銭は祈願のきっかけでしかなくて、その金額は問題じゃないのだ」という理屈を理解しようとした。しかし、子どもの頃に見た社務所にはお守りや破魔矢とともに熊手が並んでいて、それは高額なほど派手で大きく、また高額なほど威力がありそうなのだった。威力とはつまり、富や幸福を我がものにする力のことだった。

 大人になった今は賽銭箱の前で、金額が少なすぎると失礼にあたる気がするし、多いと下心が神様にまで透けているような気がする、と思いながらその両方からできるだけ遠い金額を選ぶようになっていた。改めて考えると、自分自身も祈りと金額を天秤にかけるようなことをしていたのだった。過去の哲生にとって祈りとは人の純粋な願いだけをあつめて結晶化させたものだったのかもしれないが、彼は今、妻と同じ目線を持っている。ひとことで祈願や祈りといっても、その中身をのぞいてみるとひとつの思いや願いだけで成り立ってるようには思えないのだった。
 では、祈るという行為はどこまでが他者や社会への願いで、どこからが自分の都合や欲望で、そういった本心にどの程度の建前が乗っているのか。仮に祈りがそのように可視化されたとして割合ごとに金額となって比較されたら、と想像しかけて哲生は、なんでも都合よく見える形にしてわかった気になるいまの風潮が、自分にいくらかの影響を与えていることに気づいた。

 鳥居をくぐり、境内の方へ向き直ってゆっくりと一礼する。これから参拝する人たちがそれぞれのペースで歩くのが目に入る。すれ違ったひとりひとりは願い事を胸にもって歩いている。そうしていくらかの賽銭を投げ、心を静めて祈願をしたあと、自分と同じようにどこかへ帰っていく。その願いごとや祈りは多くの場合、内に秘められたまま表に出ることはない。


 神社を離れ、意外なことに妻は街の雑踏へ向かって歩いていく。お互いに混むのは嫌だといって参詣の時期をずらしたのに、一体何を考えているのだろう。神社の静かな余韻を味わったまま帰ろうと思っていた哲生は、だまって妻について歩いた。途中、赤信号となった交差点の向こう側では、みな一様に自分の手元へ目を落としている。その景色を見ながら妻は言った。
「お蕎麦たべたい。あったかいの」
「……ん、ああ」
哲生はあいまいな返事をする。信号が変わって二人は歩き始める。
「この前ね、友達においしいお店があるって教えてもらったの。ここからちょっと歩いた、三丁目の交差点の近くだって」
哲生は「そうか」といって歩みを早める。それは妻の提案に乗ったという合図だった。
「お蕎麦たべよう。あったかいの」
妻も少し早足になって、ついてくる。


(3000文字)

#ピリカ文庫


 今回はなんと、noteきっての耽美派・武川蔓緒さんとご一緒させていただきました。プレデターございます。あ、いや、ありがとうございます。




 2024年最初のピリカ文庫へのお誘いありがとうございます。

 2作目になりまして、みなさまの作品とともに並べていただくのもうれしいことです(1作目はこちら)。今回のお題「祈り」。世の中のさまざまなできごとを見聞きして思ったことは、こころおだやかに過ごせますように、です。


 去年はウミネコ文庫(と浦島Ru太郎一座😁)、ことしはピリカ文庫と、ご縁をいただきましてうれしく思います。いずれもクリエイターのコラボレーションという共通点がありますね。周りの方とのつながりがあってこそ創作できるのだと実感します。