待っている

 何にせよお誘いいただけるのはありがたいことである。

・飲みにいこうぜ
・走りにいこうぜ
・書いてみようぜ
・しゃべってみようぜ

などなど。

すこしまえに「待つ」行為に込められたものをなんとか言葉にして捉えようと試みたのだけれど、どうしてなかなかうまくいかない。それを別の言葉でいいかえるとどうしても平べったい言い回しになる。自分の見える「待つ」の少し向こう側をどう伝えればいいのか。それはだれかが紡いだ文章をとおして初めて伝えうるものかもしれない。あなたのつかったあの言葉、あの言い回しは、じつは「待つ」という行為ではないのでしょうか。

ところで、わたしはいま待っている。何を。いくつかのことを。歩きながら焦点が合わない程度にぼんやりと思考を転がしていると、偶然フォーカスが合うことがあって、ああ、これがいいのではないか、と思ったことが2、3あった。

ものがたりの断片が不意に頭のなかでつながり、誰ともつかない人が話し始める。これは「書け」ということかもしれないが、まだ足りない。出てくる芽をよくよく観察して、ある程度のところで間引きして、しばらく育てて、もういちど間引きして……というプロセスを辿らないと、どうともできないような気がする。骨組にちゃんと肉付けしたものとして仕上がるといいのだけれど。ものがたりとしての質量感が備わったかたちで組み上げていこうとすると、ひとつひとつのモジュールが適切かどうかを検品する必要がある。そのいっぽうで、ものがたりというのは走り出してみないとどこへ向かっていくのかわからない。あるいは定めた着地点までどういう軌跡を描くのか。

そういいながら、もう少し時間をかけないと何も具体化しないのだろう。今回「読んでもらいたいターゲット」は、だれだ。わたしは文章を書こうとする時に、特定の人の存在を思い浮かべてその人に読んでもらいたいと考えて書く。それは必ずしも依頼者とは限らず、家族か職場の人間かもしれず、実際にわたしの書いたものを目にしない人を想定することもある(実際に、わたしがこのような文章を書いていることを知らない方を想定して書いたことがある)。書いた後も、本人にそういう事実を伝えることはない。言われたところで面倒なだけである。

わたしのなかで動き出すのはだれだ、君の行きたい場所はどこだ。五里霧中。
書きながらわたしがきいているのは、Portrait of a Headless Man。