まみむめもがいえるようになってきた

瀬川瑛子も驚愕の「ンまみむめも」である。
朝からこの程度の思考回路であった。
まことにありがとうございました。

鼻づまりがようやく解消の方向に向かっている。素朴な疑問であるが、鼻づまりというのは、鼻のどのあたりがつまっているのであろうか。お医者などで見る、人の頭部を真ん中でスパンと割った図があるけれど、アレでよく見る、鼻の穴から鼻腔を通って喉の方まで、この経路のどこがつまるのだ。そこには何がつまっているのだ。そして、あまりつまると渋滞が生じるぞ。
道路交通情報です。一般道路、鼻の穴経由は、右ルートの鼻腔に新型コロナの影響による通行止めがあり、渋滞が発生しています。現在の時間、左ルート、くちルートへの迂回をお願いいたします。
なんのこっちゃ。

8月も2日目になった。娑婆の様子がわからず時間が過ぎている。
猛暑とか、豪雨とか、極端なものに振り回されている気がする。当然のように発せられる「命を守る行動を」というのが、わたしにはわからない。ある日、テレビから「命を守る行動をおねがいします」と聞こえてきた。あまりに漠然としていて、無責任な言い方に思えた。理屈はおかしくはないのだが、その言葉を受け取った人に納得感があるのかどうか。アクセルとブレーキを間違える車が平然と往来する世の中、命を守る行動しようぜ!みたいなことか。背後から一発かまされるかもしれぬから防弾チョッキ着ようぜ!みたいなことか。ムショ入りしたいから誰でもよかった、と自分のこともろくに決められない狂人が出るやもしれぬから、外出するな、ということか。
なんですか、命を守る行動って。命を落とすようなリスクを回避、あるいは軽減して過ごす、ということですか。避難と命を守る行動との違いはなんですかね。これまでの「避難してください」という言葉と、最近の「命を守る行動を取ってください」という言い方は、何が違うのかね。わたしにはわからない。どうにも
「避難する」≪「命を守る行動をとる」
のように思えるけれど。
そして、「地域の方々は声を掛け合って、命を守る行動をとってください。……さてスポーツ、高校野球です!」とか言われると、なんか「命を守る行動」がけっこう軽く扱われてるのかな、とわたしなんかは思ってしまうのである。

どうでもいいことのために文字を消費したが、まみむめもがいえるようになってきた気がする、ということであった。それだけのことである。あははん。