AIチャットのすごさ

それは、一見すると理路整然とした模範解答を数秒で仕立て上げるようにみえるところにある。正しいと思える文章もあるし、鮮やかな論理立てに舌を巻くこともあるだろう。それに誤字脱字もない。なんと優秀な、と言葉を失いそうになる。

その一方でまったくおかしなことを平然と並べることもある。間違った方向へ自信満々で導こうとするカーナビと同じである。新しい道が開通したのを知らないカーナビを見て、健気で哀れだと思ったことが一度や二度はあると思う。あれに似ている。


AIが日々学習するとしても人間ではない。人間ではないものが人間と同等にはならない。AIは道具であり、なにより「何かおもしろいことが起きている現場に行くことができない」のである。その場の空気を「体感できない」のである。文フリとか飲み会に行けないのであるよ、AIは。かわいそうに。おぃおぃおぃ。わたしはAIの不憫さに泣いておる。嘘泣きやけどな。


そのような道具に人間は振り回されるものではない。
何にしても道具は、人間が使うものである。