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マスクを外したら

マスクを外したら春がいた

友人とするCoCのために、百均でプラスチックのリコーダーを買ってきた。

酒を飲みながら作ったキャラシを確認し直していたら、持ち物欄に「リコーダー」と書いてあったのだ。全然記憶にない。でも音楽教師のキャラだしリコーダー持っとくかって笑いながら決めたことは想像に難くない。酒を飲んだときのわたしっていうのはそういうやつだ。五年以上も付き合いがあるとわかってくる。
だから、現実でも所持しておいてセッション中の事あるごとに吹いてやろうとおもった。酒は飲んでいない。仕事帰りのシラフである。

八時過ぎ。最寄り駅近くの百均から家までは自転車で十分ほどかかる。
Discordに集まろうと決めた時間は十時だ。大体が適当な人間の集まりなので、どうせぴったりにはあつまらないだろうが、流石に風呂や軽めの夕飯くらいは通話が始まる前に済ませておきたい。
数年前に母が懸賞で当てた自転車は、ライトを点けると地獄のようにペダルが重くなる上に、祭りの掛け声か?ってくらいモーター音が響く。運動不足のわたしはヒイヒイいいながら、マスクを顎の下に押しやった。堤防沿いにはわたしの他に人影はなく、ちいさめの神輿みてぇな音をたてる自転車も、ノーマスクのアラサー女も見咎めるような人間はいないと思ったからだ。

マスクを外して思い切り吸った外気は春の匂いがした。

詩的な表現だと感心していただければ幸いで、できることならば日常をポエミーに綴れる女という誤解をそのままそっとしておきたい気持ちもあるけれど、忍びないので訂正を付け足す。
春の匂いは、桜の匂いだ。
訂正しても字面が詩的だ。やばい。春ってすごい。なにを言ってもいい感じにポエトリーリーディングである。

わたしは生まれつき人より心持ち嗅覚が鋭い。いまどきこういうことを言うと炭次郎気取りのやべぇオタクという烙印を免れないのであまり大きな声で言いたくないのだけれど、これは本当に、特技以下のなんとなくの特徴として。若干、マジで若干、気持ち……?人より嗅覚が鋭いということになっている。らしい。
具体的にいうと、「風邪をひきはじめている人のにおいがわかる」、また「赤ちゃんと同居している人のにおいがわかる」とか「機械が検知するレベルのガスがマスク越しになんとなくわかる」とかそういうエピソードがある。
正直に言うと、本当に生まれつきなので、わたしからするとこれが本当に「嗅覚が鋭い」にカテゴライズされるのか、とにかく自信がない。もしかしたらどこにでもいるレベルの話なんだとしたらこんなことドヤ顔で言ってしまってめちゃくちゃに恥ずかしいので消えいってしまいたい。が、一応、今まで約三十年生きてきて他に上記のような話をわかってくれる人と出会っていないため、少なくとも一般的……な感覚……ではない……のかも……しれない……ね!くらいには思うことにしている。
生まれ持った自分の感覚と、いわゆる「一般的」な感覚とのギャップのすり合わせって難しいな(そもそも『一般的』ってマジでなんだ?!?!?!)、と常から思う理由の一端ではあるのだけれど、それはおいておいて。

ただ、桜の香り、というのは割とわかってもらえるものではないかと思う。たとえば、桜の名所に行ったとき、多分、誰でも桜の香りを嗅いでいると思う。……嗅いでいるよね? 桜餅とか、いわゆる桜の香料的なものとはまた違った、でかい川の近くみたいな香りだ。
春になると、わたしはどこに居てもだいたいその香りを感じている。
どこかに桜があるんだろうな、と思う。

で、ひるがえって。
うちの近くにはちょっとした花見スポットがある。
例年はこの時期にもなると桜まつりの看板が出され、自治体の方の飾る行灯が下げられ、出店の準備が始まり、とどことなく落ち着きのない風景が見られるのだが、当然、今年は桜まつりの予定はない。

けれど、春の匂いがした。

地獄みたいな音をたてて自転車をとめて、暗い中、その桜の一本に近寄ってみた。
まだ花の気配はない。つぼみらしきものも、ぎゅっとかたく身を結んだままのように見える。
でも、春の匂いがする。

桜が咲いたらいつものように、夜中に酒瓶を持って繰り出そう、と決めながら家路を急ぐことにした。

回る寿司を食べに行きます