すべてわたしが悪い

変則的なアパート住まいになった訳だがワタシはとりあえず娘の居場所を確保するために家賃と食費くらいは稼がないといかんと思い、職を転々としてはいたが働いてはいた。

生活は苦しかったのでCDやレコードを大量に売り捌いた。結構これは辛かったな。

毎月給料日には娘と焼肉屋に行って色々話す事になっていた。まあこんな感じでも割りと幸せだったんだが やはり小学生にしたら変わった家庭だったしピンクのモヒカンでウロウロしていたから変人で近所では有名だったろうなあ。

娘が小学4年の時いつもの焼肉屋で 実は学校でイジメられていると告白された。たまに学校行ってない事は薄々勘づいていたのだけど わたしはカッと頭に血が上り灯油缶を持って相手方に乗り込もうとしたが娘に泣いて止められた。

だから学校へ怒鳴り込んだ。これには教師達は参ったろうな、本当にスミマセン。校長がわたしの小学6年の時の担任だったため話はスムーズに進んだが。この当時 各学年に5人は登校拒否児がいてイジメなどもかなり遭っている事が分かった。

学級崩壊が凄かったと聞いた。実際 娘のこの時の担任は鬱病で辞職したしね。モンスターペアレンツも多数いたらしい。

それから娘は結局またわたしのアパートに住む事になり、登校拒否児が行く施設に一時通い そして保健室に登校、その次は1時間ずつ様子を見て授業を受ける、と段階的に学校に慣らして行った。

おかげで5、6年時は無遅刻無欠席、美術部に入り友達とも仲良く出来たと言う。中学、高校も無事行けた。良く笑う子になった。

でも本当ならもっと裕福な何不自由無い暮らしをさせてあげたかったな。

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