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【#4】いまのわたしを探す記録

夢を見た。

母が亡くなる夢。


それも、何やら、マンションの一角で、
子供たちが遊んでいる。


スーパーで買い物を済ませたわたしは、
誰かと一緒に、そのマンションに行く。


そこで、母が亡くなっている。
それも、もう骨壺になった状態。


夢の中で、毅然とした態度で振舞いながら、
人の居ないところに駆け込んで、
誰にも見られないように。


大声で泣いている。


その後、
そのマンションの裏にある海に行く。


海には、知り合いの姿はない。


そして、また、大声で泣く。


「もう、母はいない。」


それを強く思う。


マンションでは、みんな
いそいそと、骨壺を持ち出して、
葬儀の準備を始めている。


なぜか、泣いてはいけない雰囲気なのだ。
わたしは、笑っていないといけない。
「わたしは、心配ない。」
といった態度でいなくてはいけない。


そんな夢をみた。


罪悪感なのだろうか。

母の「喜怒哀楽」
様々な顔が思い浮かぶ。


「わたしたち、同志だったじゃない」
そう言いたげな顔をしている。


そう。いっときは、
そうだったのかもしれない。


1人の人間として、母を支え、見守った日々。


なぜ、わたしが、母の事を支え続けているのか
虚無感をまといながら。


子が親の幸せを願って、
ただ、それだけを追い続ける。


母の喜怒哀楽は、わたしの喜怒哀楽になる。

母の喜びは、わたしの喜び。
母の怒りは、わたしの怒り。
母の哀しみは、わたしの哀しみ。
母の楽しみは、わたしの楽しみ。


これを、この世では、
「共依存」「依存」「毒親」「アダルトチルドレン」
「ヤングケアラー」

と呼ぶのでしょう。


母の為に、どれだけ尽くしただろうか。

でも、離れると、頭に
「親不孝者!」と叫ぶ声がする。


ちがう。
わたしは、親不孝者なんかじゃない。


今年で32歳になる。
30歳まで、母を支え続けたのだ。


それなのに、
わたしのどこか腹の底で、
「親不孝者!この、親不孝者!」
と叫ぶ声がする。



これが、洗脳というものなのだろうか。



断ち切っても、断ち切っても、
こころの奥底では、
わたしを罵る声がする。


ちがうよ。

わたし、そんなんじゃない。



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