Fear.
やっと好きだって言えた。後ろから突かれながらだけど。まもなく35歳にもなろうという頃になって、わたしは、好きな人に好きだと言うのはこんなに恐ろしいことだったのだと知った。今までKやSやJやYやSやその他の男たち相手に大量生産してきた「好き」はなんだったんだ。何回も、浴室の鏡に向かっていろいろなバージョンの「好き」を練習して、日頃から口の中で転がして、それでも彼を前にして言おうとした途端に言えなくなって、一人で自宅前の階段を登っているときなどに「ドリカムかよ」と自分に突っ込むなどし、いつなら言えるか考え抜いたのに、やっとの思いで「すき」と言えたのは、うつ伏せで後ろから優しく突かれて、毛布をつかむライナスのような心境でシーツにしがみついて、ため息をつくように「いく」って声が出て、「いいよ」って言われたときだった。喉から押し出すような、吐息に紛れそうな音でわたしは「す」「き」の二文字を発音した。彼は指を止めて口づけで返事をしてくれた、わたしは彼の指が好きだ。きれいに切った爪、磨いていないのにすっきりと平板な爪、すっくと長い指、わたしはいま、彼の何もかもが好きだ、そしてそのことがすごく怖い。
Photo: the half of it
キッチンに立つ彼が好きだ。作業の合間に、手際よく洗いものをするところが特に好きだ。
冬の朝、ダイニングで、彼のパーカを指し「借りていい?」と言うと、「もちろん」と答えてから、黙って素早く床暖房をつけてくれる彼が好きだ。
アレクサにすぐダジャレを言うように迫る彼が好きだ。
あんなにたくさんTシャツがあるのに、なぜかわたしに毎回ブラック・サバスのTシャツを貸してくれる彼が好きだ。
この歳で今更、するたびにめちゃくちゃ照れるわたしが「恥ずかしい」と唸ると「どこが?」と平然と言う彼が好きだ。
訪れたたくさんの外国の話を生き生きと聞かせてくれる彼が好きだ。
もうひとりで生きていけるかもな。と思っていた。ふたりとも。たぶんひとりでも生きていける。これからも。それでもなんとなく知り合って、なんとはなしに一緒にいる。
長く、こういうふうにいられたら、とも思うし、もう半年後には会っていないかもしれない、とも思う。
少しの諦念、たくさんの苦い思い出、底にある戒め、一抹の寂しさ、完全には共有できない。
"When you are a loner, there is nothing more satisfying than finding another loner to be alone with."
そんな乾いた思いを抱えたまま早く目覚めた朝、まどろみの中で彼がわたしの背中を抱きしめ、わたしは背骨で感じる彼の心音と体温にどぎまぎして、早くも息が上がる。求め合うたびに、少しずつ沖に進んでいるような気がする。足がつくかつかないかの深さのところで、わたしはいま、怖さで身を縮めて、彼の身体にしがみついている。そして、沖の方から、愛おしさと束になってやってくる快楽に身を委ねる。
"You have to just surrender. You have to surrender your whole body and mind to something else that completely takes over."
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