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社会彫刻によって大きく開かれた現代アートへの入口


 近現代の芸術文化の展開において、私が最も重要視するのはドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスがはじめた「社会彫刻」という概念である。近現代の多くの芸術家たちがもがきながら、芸術のあり方を模索してきた。そして、それはある程度まとまった方向性のある芸術動向を生み出してきた。しかしそれらの芸術動向は、表現方法は違えど、芸術の為の芸術であり、ある意味では閉ざされた世界で、狭き門であったように思う。しかし、社会彫刻とヨーゼフ・ボイスが名付けたこの芸術運動は、社会を巻き込み、社会と共に作り上げていく彫刻スタイルであり、「全ての人間が芸術家である」というボイスの有名な言葉によって代表される。

 これは彼も参加していたフルクサスの「日常と芸術の垣根を取り払う」というアートムーブメントの流れを組んでいる。その中で行われた「ハプニング」や「イベント」は、見るもの(日常)と見られるもの(芸術)の垣根を取り払い、見るものによって、芸術作品のあり方が常に変わっていく、参加型の芸術作品であるとも言える。ボイスの有名な作品「死んだうさぎに絵を説明する方法」というパフォーマンスがあるが、これは、制度的になってしまった美術業界への批判も含み、「絵画を見る」という行為は、説明なしに「絵画をただよく見る事」によって成立するといった、彼の芸術への姿勢を提示し、また「社会彫刻」という概念の重要な出発点となる。

 彼の作品には彼自身の戦争体験やシュタイナーから得た思想も込められ、特殊な素材を好んで彫刻の素材として選んだ。例えば、脂肪やフェルト、蜜ろうの様な、有機的で形を変えるものである。これは第二次世界大戦で追撃された際に、意識不明の重体になったヨーゼフ・ボイスが、タタール人によって、体に脂肪を塗られフェルトでまかれ蘇生した彼自身の経験から来ている。(後にこのことは、彼自身の作り話ではないかという説もあるが)その事も含めて、自身の経験からある思考を形作り、その思考を彫刻として、従来の枠組みに囚われず、表現素材選び、形作っていく。という彫刻スタイルは、その後の彫刻のあり方にも大きなインパクトを与えたのではないか。また彼はパフォーマンスのみならず、対話集会の様な政治的活動にも顔をだし、民衆との対話によって、「芸術概念の拡張」を試みていた。もはや自身の思考のみではなく、参加した全員で思考していき形作っていく作品となる。
 
 またもう一つの作品「私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」では、ヨーゼフ・ボイスがコヨーテと過ごすパフォーマンスで、これはボイスの言葉を借りると「全てをコヨーテに委ねる」といったハプニングであった。教育や政治においても社会と深くかかわっていった社会彫刻家ヨーゼフ・ボイスの人生は「7000本の樫の木」という作品の制作途中で、終焉を迎える。公共空間の中のアート作品は、社会との交渉を不可欠なものにし、その交渉を通して、社会との対話が必然的に起こり、双方に影響を与えあいながら作品が成立する、クリストとジャンヌ・クロードの作品スタイルとも共通している。この時代を境にして、近代アートから現代アートに移り変わり、芸術が大衆に引き渡されたという点でも「社会彫刻」の果たした役割は大きいと考える。


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