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撃ち抜かれてしまったひとりとして (漫画『モディリアーニにお願い』に寄せて)

21年1月末の5巻発売を以って完結した『モディリアーニにお願い』(小学館)、ツイッターで作者の相澤いくえさんが単話を公開しているのに遭遇し読み始めたのだが、「この作品に巡り合わせてくれてありがとう!!」と本気で神さまに感謝したくなるほどに素晴らしい作品だった。そう思うのと一緒に、この気持ちをどうにか残したい、と強く思った。こんなことは久しぶりだったので、自分でも戸惑いつつこんな文章を書いてみた次第である。

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東北にある小さな美大に通う男子学生、本吉(もっくん)、千葉、藤本の3人組が本作の主人公だ。『モディリアーニにお願い』は、彼らががむしゃらに、時々立ち止まって、そしてどんな時でも真摯に美術に向き合いながら、創作者としても1人の人間としても成長していく姿を描いた青春譚である。

作中では、創作や美術にまつわる様々な事象や、美術大学での生活が克明に描写されているが、これは作者自身が主人公たちと同じく美術大学の出身で、美術を学んできた身であることが大きいだろう。しかし、ただ「知っている」だけでは作品越しにそれらを伝えることはできない。それぞれの「瞬間」が作者の中で表現として像を結び、この作品に閉じ込められているからこそ、私たち読者は物語の世界を鮮やかに感じ取ることができるのだ。

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本作ではどこまでもまっすぐな言葉と、架空のイメージと現実が溶け合ったような情景描写の組み合わせによって、鮮烈でまぶしくて、それでいて読者それぞれの中にある記憶と響き合うような物語が描き出されている。これらの表現は本作の全36話、どのエピソードにおいても見ることができるが、中でも3巻収録の『「やまなし」のカニ』での、イメージと言葉、ストーリーの呼応は特筆すべきだろう。

千葉の発案で主人公たちが宮沢賢治の『やまなし』という童話を題材にした3人展を行うという話なのだが、まずこの題材を千葉がプレゼンするときの描写がきらきらしていて瑞々しくて、本当に素敵なのだ。

このシーンでは、3人で『やまなし』の世界を作りたいという千葉の熱意が2人の心に伝播していく様子を、背景に水の描写を加えることで印象的に表現している。水は『やまなし』の重要な要素であると同時に、様々なものの象徴として作品全体で用いられるイメージでもある。

「俺のね、頭の中のキラキラをね、みんなにも見したいんだけどね。梨とカニは絶対、俺が作れる色じゃなくて!!」
「言葉とか数字とかじゃ、絶対伝えられないんだこれ!!」
「信じてる!!俺のためで悪いけど、2人にも見したいから!!」
「『やまなし』作ろう!!すごいきらきらで、ぜったい絶対、3人でそこに行きたいから!!」(3巻19話『「やまなし」のカニ』より)

千葉の言葉と同期するように架空の水が教室を満たしていき、本吉と藤本もろとも水底に沈めてしまう描写はこのエピソードの見どころの1つだろう。

企画に及び腰だった2人が千葉のまっすぐな気持ちに飲まれ、思わず了承してしまうまでの心の動きが、水のイメージを重ねることによって説得力たっぷりに描かれている。『やまなし』のストーリー、そして千葉という人物のキャラクター性とも響き合う表現に、ぐっと引き込まれること間違いなしのシーンである。

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同エピソード内で、藤本が「自分が絵を描くということ」について思いをはせるモノローグも、千葉とは違った「まっすぐさ」に溢れた印象的な場面だ。

「こうやって絵を描いてる瞬間だけ、きちんと心臓が動いているのが分かる気がする。ごまかしも見栄も何もなく、一生、ずっと1人ぼっちでも生きてられる気がする。」
「きっと状況は何も変わってないし、才能が急に生まれたりしてないし、世界にも見つけてもらえないし、自信もないけど、こうやってでしか生きられないんだろうな。絵を描いてる時だけ、世界がぼくに優しい。」
「……絵を描くことは楽しいなあ。……ほんとに。」(3巻19話『「やまなし」のカニ』より)

正直な心からの言葉で語られるそれは、自分の性(さが)に対する諦観であり、そして全力の肯定だ。孤独や不安を引き受け続けることになったとしても、絵を描くことは自分にとって何にも代えがたい。その絶望にも似た喜びを噛みしめながら藤本は黙々と筆を進めるのである。

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作中に散りばめられた絵を描くこと、美術に携わること。それらに付随する様々な思いを分け隔てせず、ゆがめることなく写し取った言葉たちは、直進する光のように読者の心の裡まで届いてしまう。まっすぐで真摯なそれらの中に、かつての自分を見たような気がして心がざわめくのはきっと私だけではないはずだ。

主人公たちにとっての美術のように「これが自分の道なのだ」と信じた「何か」。そしてそれを大切に思い、その心に正直でありたいと願った気持ちを照らし、呼び覚ます。本作にはそんな力が溢れている。美術大学という限定的な世界を率直な言葉で描くことで、本作は読者それぞれにとっての「私の物語」になりうる普遍性を獲得したのである。

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「美術が好きなこと夢があったこと仲間がいたこと、全部忘れず死ねるだろうか。」(1巻3話『本吉くんの海』より)
「いつか取りもどせなくなっても、あったことはなくならないって信じたい。」(4巻23話『千葉の教育実習②』より)

今あるものがいずれなくなること、以前あったものが今はないということ……。「不在」はこの『モディリアーニにお願い』という作品全体を貫くテーマのひとつだ。
「不在」をどう捉え、それにどう向き合っていくのか。作中で繰り返されるこの問いの答えの1つが、5巻収録の『100万年のガラス』というエピソードで語られている。

「俺が何を思ってたのか伝えるには、作って残すしかないんです……!!本当はもっと、ずっと作っていたいけれど、時間がきちゃったから。」
「なくしたくない!忘れたくない…!!終わることを考えると、さみしくて…苦しくて、しんどくなるから…!!」
「なくならないように、全部入れてもっていけるくらい、大きいガラスじゃないと…!!」
(5巻33話『100万年のガラス』より)

「今・ここ」にあるものや、形はないけれど確かに存在する感情や記憶に、時間を超えられる形を与えること。これが美術の道を志す彼らの不在と向き合う術なのだ。

誰に宛てたものかも分からないけれど、作るしかない。いつ届くとも知れないけれど、遺すしかない。そうやって長らえた時間の先で、巡り合った「誰か」の心を揺さぶることを信じて、彼らはそれぞれの美術に向き合い続けるのだろう。

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連載が始まった2014年から完結し最終巻が発売された今に至るまで、本作はすでに多くの読者の心を捉えてきた。作品と同時代を生き、完結後間もなく読むことができたのは非常に幸運なことなのだと思う。

しかし、『モディリアーニにお願い』に秘められた力は、時代とともに移ろうほどヤワなものではないはずだ。いつまでも色褪せない岩絵の具のように、100万年先まで残るガラスのように、長い時を経る中できっと、この作品はたくさんの「誰か」の心を撃ち抜いていくに違いない。そんな予感がしてならないのだ。

どうか、この作品が必要な人のところへ届き続けますように。撃ち抜かれてしまったひとりとして、そう願わずにはいられない。

[引用]
『モディリアーニにお願い①~⑤』(著:相澤いくえ、発行:小学館)
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たらたら書いてしまった!本当にこの下手い文章じゃ伝えられない良さに溢れた作品なので、多くの人に読んでほしいと願ってやみません。本当は1話ずつ好きなところを列挙していきたいくらい……。すべてのエピソード、その中のすべてのセリフ、描写が必要不可欠だと心の底から思える作品です。こんな素敵な物語を世に送り出してくださった相澤いくえさん、チームモディリアーニの皆さんに感謝しかありません。日本の片隅から、ますますのご活躍をお祈り申し上げます!

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