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国境なき医師団(MSF)日本より/ガザでのイスラエルによる病院への攻撃/戦争犯罪の証言

10月18日


私たちは、患者の治療と避難民の受け入れを行っていたガザ中心部のハルツーム南アハリ・アラブ病院が爆撃されたことに、恐怖を感じています。 数百人が死亡したと伝えられています。これは虐殺です。絶対に容認できません。「私たちは病院で手術をしていました。強い爆発があり、手術室の天井が落ちてきました。これは虐殺です」
 

10月24日


国境なき医師団(MSF)が外科手術を支援してきたスーダン・・ハルツーム南部の病院で、手術活動が中断に追い込まれました。 地元の軍当局が、病院に手術用の医療物資を運搬することを許さないからです。

11月1日

パレスチナ・ガザ地区のジャバリア難民キャンプで、イスラエルの空爆により多数の人が死亡したとの知らせに、私たち国境なき医師団(MSF)は恐怖を感じています。 私たちのチームが緊急医療を支援しているアル・シファ病院には攻撃後、多くの負傷者が到着しました。
「深い傷や重いやけどを負った幼い子どもたちが、病院に運び込まれてきました。家族は一緒ではありません。多くの子が泣き叫び、親を探していました。病院は患者でいっぱいだったので、場所が見つかるまで、私は子どもたちと一緒にいました」もうたくさんです!
 

11月5日


「病院の敷地内に立っていた私たちの目の前で、救急車が直撃されました。血まみれの遺体がそこらじゅうにありました。多くの人が即死し、息のある人びとを緊急治療のため手術室に運びました」 アル・シファ病院で活動を続ける、MSFのオベイド医師は語ります。アル・シファ病院の前で起きた救急車への攻撃は、おぞましいの一言に尽きます。 MSFのスタッフも救命医療活動を続けるガザ最大の基幹病院の前で、多数の死を招く攻撃が起きたのです。
 

11月6日



国境なき医師団(MSF)の検査技師としてパレスチナ・ガザ地区で活動してきたムハンマド・アル・アヘルが、家族とともに命を落としました。 シャティ難民キャンプの自宅で爆撃を受け、建物が倒壊。数十人が死亡したと報じられています。

11月11日


国境なき医師団(MSF)は11月11日夜から、パレスチナ・ガザ地区のシファ病院内のスタッフと連絡が取れていません。 ガザに住む他のMSFの同僚によると、シファ病院周辺の敵対行為は止まっていないといい、私たちは、院内にいる人びとの身の安全を強く懸念しています。
「路上で人が死んでいる。撃たれている人もいます。負傷した人びとの姿も見えます。助けを求める叫び声が聞こえますが、私たちには何もできません。外に出るのは危険すぎます」 ガザにいたMSFスタッフの一人は12日朝、こう語りました。

11月14日


14日朝、シファ病院近くの MSFの施設が攻撃を受けました。 スタッフと家族が避難している3施設の内の1つで、子どもたちもいます。
「赤ちゃんが2人亡くなりました。電気が止まって保育器を動かせないからです。人工呼吸器も止まりました」
極限状態にあるシファ病院。現場の医師の肉声を聞いてください。この後、病院スタッフと連絡が取れなくなりました。 私たちは改めて、病院への攻撃の停止と即時停戦を求めます。

11月17日


イスラエル軍は11月17日未明、パレスチナ・ヨルダン川西岸地区で国境なき医師団(MSF)が支援するハリル・スレイマン病院を含むジェニン各地の病院を包囲するとともに、難民キャンプへの侵入を複数回にわたって行いました。ハリル・スレイマン病院の救急治療室にいたMSFチームは、救急車がイスラエル軍に阻止されたため、キャンプからの負傷者を受け入れ、治療することができませんでした。
 

11月18日



MSFのパレスチナ人スタッフとその家族計137人を避難させようとしていた車列が攻撃され、MSFスタッフの家族1人が死亡、1人が負傷しましました。 この意図的な攻撃を、MSFは最も強い言葉で非難します。

11月30日


「手足を失い大手術をした少年がいました。家族の中で生き残ったのは彼だけです。麻酔から覚めた時『家族はどこ?』と…。とてもつらい出来事でした」 パレスチナ・ #ガザ 南部の都市ハン・ユニス。ここで医療活動にあたっている国境なき医師団の医師が現場の様子を伝えます。
 

12月7日


ガザで11月18日、国境なき医師団(MSF)のスタッフと家族らが南部に避難できず事務所に戻る途中、車列が銃撃され2人死亡しました。2日後には車両も破壊されました。 全ての証言が、イスラエル軍に責任があると示しています。 MSFは、イスラエル当局に公式な説明を求めます。 独立調査も要請します。
 

12月13日


「改めて言います。アル・アウダ病院は医療活動を続けています。しかし、スタッフや多くの患者は極めて弱い状態に置かれています。患者を治療中の医療従事者を攻撃するのは強く非難されることであり、全く非人道的な行為です」

12月14日朝



#イスラエル軍 は、ハリル・スレイマン病院から退院した患者を家に運ぼうとする救急車を止めました。 救急隊員と運転手は救急車から降ろされ、身ぐるみをはがされ、路上でひざまずかされました。 患者は救急車の中に置き去りにされました。10月7日以来、私たちは #イスラエル軍 が病院に実弾を撃ち込み、催涙ガスを撒き散らし、救急車を妨害し、医療スタッフを辱め、嫌がらせをしてくるのを目撃してきました。 そして今、病院の敷地内で人を撃ち殺すのを目の当たりにしました
 

12月15日


イスラエル軍 が12月14日、ハリル・スレイマン病院内で非武装の10代の少年を銃で撃ち、殺害しました(MSF)と保健省の医師は命を救おうとしましたが、努力は実りませんでした。 (1/4)

12月17日


イスラエル軍が12月17日北部にあるアル・アウダ病院を12日間包囲した後、制圧しました。 16歳以上の男性は連れ出され、裸にされ、縛られ、尋問されました。中には(MSF)のスタッフも6人いました。 尋問後、彼らのほとんどは病院に戻され、動くなと言われました。この10週間、アル・アウダ病院は包囲され、空爆で被害を受けました。 #MSF の医師ら2人を含む複数の医療スタッフが、攻撃で死亡しました。 私たちが知る限り、ガザ北部で機能している最後の病院です

12月21日


北部のアル・アウダ病院が攻撃され、MSFの医師2人が亡くなって1か月。 勇気と信念をもって医療活動を続けた2人に、改めて深い哀悼の意を表します。
「最後まで残っている人に伝えてください。私たちはできることをした。私たちを忘れないで」

12月26日


マガジとブレイジュ両難民キャンプが24日に爆撃された後、アル・アクサ病院はこれまでに209人の負傷者と131人の死者が運ばれたと報告しました。その半数は女性と子どもでした。
 

1月5日


アル・アクサ病院の集中治療室の壁を銃弾が貫通
しました。数日間にわたり、病院からわずか数百メートル離れたところでドローンや狙撃兵による攻撃が続いていました。ガザ中部での数日間におよぶ砲撃戦の後MSFのチームが支援するアル・アクサ病院周辺に投下されたイスラエル軍による避難命令のビラを受け、MSFはスタッフと彼らの家族をこの地域から避難させるという苦渋の決断を下しました。

1月8日


MSFのスタッフらが避難するラファの建物が砲撃を受けました。ここは結婚式場でイスラエル軍に「ここには民間人しかいない」と事前に連絡していました。1月8日戦車の砲弾が窓を貫き スタッフの5歳の娘が命を落としました。
ガザに安全な場所はありません。

1月15日


「私たちのすぐ近くで戦闘が起こっています。爆撃の音や銃撃戦の音がたくさん聞こえます」と、ナセル病院を訪れたカンズは語ります。「昨日(1月15日)、病院の入口から150メートルの地点で空爆があり、8人が死亡、80人以上が負傷しました」

1月16日


南部ハンユニスにあるナセル病院の(MSF) 外科医によると、イスラエル軍が16日夜、事前の退避要求もないまま病院の近くを激しく爆撃しました。患者や病内に避難していた市民の多くがパニックになって逃げました。ナセル病院を16日に訪問したMSFパレスチナ活動責任者のレオ・カンズは、現在ガザで機能している最大の医療施設となっている同病院の収容率は300%になっているとしたうえで、「状況は壊滅的です。患者が多すぎてスタッフの対応が難しくなっています」
ナセル病院
でMSFは、外傷や重いやけど患者を含む救急医療と外科治療を行っています。しかし、病院周辺での激しい爆撃のため、昨年12月以降、私たちの活動は大幅な縮小を余儀なくされています。
 
病院と、そこにいた多くの患者や医療従事者、避難していた人びとに対する攻撃は、何をもってしても正当化できません。 病院は攻撃の的ではありません。 この流血は止めなければなりません。 もうたくさんです。


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