見出し画像

第1話 潮風の吹く町(音声付)

https://youtu.be/-GpSOvv-HvY

夫が仕事に出かけていく。
私はキッチンテーブルで離婚届に押印すると、
エプロンをゴミ箱に投げ捨てて、
車で家を出た。

首都高の入り口を駆け上がり、
行く当てもなく走る。

次々に現れる分岐点が迷路のようだ。
夫の浮気に目をつぶれないこともなかったが、
そこまで繋がっていく理由もなかった。

戸籍に傷がつくことなど何も怖くはない。
適当な出口で高速を降りて、さらに走る。
これまでの生活がどんどん遠くなっていく。

辿り着いたのは、見知らぬ海沿いの町だった。
ウインドウを下げると、
潮の香りを含んだ風が車内に舞い込み髪を乱す。

浜に腰を降ろし、
波間に点在するサーファーを眺める。

何度も何度も波に挑んでいく
サーファーを眺めながら、
夫と別れて手に入る慰謝料で、
私も何か新しいことに挑んでみようか。
ふとそんなことを考えた。

一人のサーファーが
ボードを抱えて海から上がってくる。
私の方にまっすぐ歩いてくる。

サーファーはまるで連れに話しかけるように、
「ねえ、タバコある?」と私の横に座った。
「私、吸わないから」と答えると、
サーファーは屈託のない顔で「オレも」と笑う。

からかわれたような気がして、
私は海に視線を戻した。


海がキラキラと輝いている。
私のことを誰も知らない、
この潮風の吹くまちで、
暮らしてみるのも悪くないかもしれない。
そう思った。

(第2話につづく)