海辺のぽち

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第1話 潮風の吹く町(音声付)

https://youtu.be/-GpSOvv-HvY 夫が仕事に出かけていく。 私はキッチンテーブルで離婚届に押印すると、 エプロンをゴミ箱に投げ捨てて、 車で家を出た。 首都高の入り口を駆け上がり、 行く当てもなく走る。 次々に現れる分岐点が迷路のようだ。 夫の浮気に目をつぶれないこともなかったが、 そこまで繋がっていく理由もなかった。 戸籍に傷がつくことなど何も怖くはない。 適当な出口で高速を降りて、さらに走る。 これまでの生活がどんどん遠くなっていく。 辿

    • ボイスドラマ_第1話_潮風の吹く街

      夫が仕事に出かけていく。 私はキッチンテーブルで離婚届に押印すると、 エプロンをゴミ箱に投げ捨てて、 車で家を出た。 首都高の入り口を駆け上がり、 行く当てもなく走る。 次々に現れる分岐点が迷路のようだ。 夫の浮気に目をつぶれないこともなかったが、 そこまで繋がっていく理由もなかった。 戸籍に傷がつくことなど何も怖くはない。 適当な出口で高速を降りて、さらに走る。 これまでの生活がどんどん遠くなっていく。 辿り着いたのは、見知らぬ海沿いの町だった。 ウインドウを下げると、 潮の香りを含んだ風が車内に舞い込み髪を乱す。 浜に腰を降ろし、 波間に点在するサーファーを眺める。 何度も何度も波に挑んでいく サーファーを眺めながら、 夫と別れて手に入る慰謝料で、 私も何か新しいことに挑んでみようか。 ふとそんなことを考えた。 一人のサーファーが ボードを抱えて海から上がってくる。 私の方にまっすぐ歩いてくる。 サーファーはまるで連れに話しかけるように、 「ねえ、タバコある?」と私の横に座った。 「私、吸わないから」と答えると、 サーファーは屈託のない顔で「オレも」と笑う。 からかわれたような気がして、 私は海に視線を戻した。 海がキラキラと輝いている。 私のことを誰も知らない、 この潮風の吹くまちで、 暮らしてみるのも悪くないかもしれない。 そう思った。 (第2話につづく)

      • 潮風のブルース #30

        #30 ライブの夜に… 海沿いの町に宵闇が降り始める。 今夜、私がママをつとめる 新しい店がオープンする。 祝いの花が並んだ店内は、 すでに準備が整いつつある。 フロアレディは私と久美子、 そしてサポートにユキに入ってもらった。 バーテンダーの人選が間に合わなかったが、 しばらくはハルオの担当である。 昔取った杵柄らしく、 ハルオは子供のように張り切っている。 突然、扉が開いた。 入ってきたのは、 裸のギターを手にした長身の男、海賊だった。 海賊は、カウンター

        • 潮風のブルース #29

          #29 扉の向こう側 久美子との待ち合わせは 駅前のコーヒーショップだった。 ハルオが経営する新しい店に、 久美子の力を借りることを ハルオは反対しなかった。 私たちはコーヒーショップを出て ハルオの待つ雑居ビルに向かった。 それは、BARジェラスとアニキの居酒屋の 中間に位置する場所だった。 私たちがお店に入っていくと、 内装を全部取り除いた状態の中で ハルオが業者と打合せをしていた。 私たちはハルオの打合せが終わるまで 店の中を隅々まで見て歩いた。 何週間

        第1話 潮風の吹く町(音声付)

          潮風のブルース #28

          #28 夕暮れの風向き 午後ひとりで浜に出た。 昨夜、ハルオから言われた提案を 改めて考えてみたが、 やはり引き受けるには自信がなかった。 ふと、防波堤の人影に目が止まった。 海辺の景色に似合わない ビジネススーツを着た女がいた。 久美子だった。 防波堤のコンクリートに座って 缶ビールを飲んでいる。 その様子は、遠目にも どこか穏やかではないように見えた。 近づいていくと、 私に気づいた久美子が 缶ビールを持った手を上げた。 「会社は?」と横に座った私に、

          潮風のブルース #28

          潮風のブルース #27

          #27 ハルオの提案 BARジェラスには、 私以外、他に客は誰もいなかった。 海賊は抱えていたギターを置くと、 私のためにホワイトレディを作りはじめた。 カウンターの端の席には、 ヨシノリの写真が飾られ グラスが供えられている。 「このところ彼がいつも一番の客だよ」 と海賊が笑ってみせた。 扉の開く音がして振り向くとハルオだった。 ハルオは私の横に座り、 ワインを注文してから煙草に火をつけた。 「いい話があるんだ」 ハルオはそう言うと、 火をつけたばかりの煙草を

          潮風のブルース #27

          潮風のブルース #26

          #26 連絡の取れない場所 ヨシノリが海に忽然と消えてから、 一ヶ月が過ぎた。 どこからか親族が現れ、 ヨシノリが借りていた 古く小さな平屋を整理していった。 そして、夜街は以前と変わらぬ顔に戻った。 行き場のなくなったユキは、 私のルームメイトになった。 朝、私が目覚めると、 いつも部屋の中にユキの姿はない。 ユキは、浜辺に座って長い時間 海を見つめて帰ってくる。 そして、昼間の時間を何となく過ごし、 私たちはほぼ同じ時間に勤めに出る。 ユキは、ヨシノリとよ

          潮風のブルース #26

          潮風のブルース #25

          #25 永遠の忘れ物 BARジェラスのカウンターで、 泣き始めたユキの肩を久美子が黙って抱いた。 アニキもハルオも、 そして海賊も何もしゃべらない。 静かなジャズの調べだけが そんな私たちを包みこむ。 ヨシノリが海に出たまま戻らない。 その事実を聞かされたときから、 私も言葉を失っていた。 すでに捜索は打ち切られているらしい。 そう言えば、 体調を崩して伏せっていたとき、 微熱に苛まれる頭で、 海の方に飛んで行くヘリの音を 聞いたような気がする。 あれは、

          潮風のブルース #25

          潮風のブルース #24

          #24 路地裏のネオン 熱したフライパンに溶いた卵が落ちて弾ける、 その音が一人暮らしの殺風景な部屋に 虚しく響く。 スクランブルエッグとクロワッサンを 珈琲で流し込むと 私は再びベッドに潜り込んだ。 すでに体調は元に戻っていたが 何事においても意欲が湧かなかった。 日課になっていたバルコニーからの夕陽も 眺めることすら忘れていた。 しかし、今日こそは出勤しようと考えていた。 久しぶりのDeepblueは、 いつものように女たちの 華やかな声に包まれていた。

          潮風のブルース #24

          潮風のブルース #23

          #23 恋のウイルス 上空を飛ぶヘリの音で目覚めたのは、 正午だった。 まだ喉の痛みと微熱は消えない。 お店を休んで三日になる。 身体の中で風邪のウイルスが 増殖しているのだろう。 風邪薬を水で流し込み、 再びベッドに潜り込む。 少し朦朧とする頭に、ふと海賊が浮かんだ。 “恋煩い”、そんな言葉が頭に浮かんだ。 恋も一種の病気なのかも知れないと思う。 気持ちがコントロールできなくなる 恋のウイルス。 症状は様々だが、 その人と一緒に過ごす時間の中毒になる。

          潮風のブルース #23

          潮風のブルース #22

          #22 風の強い日に 風が強くなりはじめ、 波は次第に大きくなっていた。 私とユキは、 ヨシノリのサーフィンを眺めながら、 ポツリポツリと話し始めた。 ユキはヨシノリの部屋で 一緒に暮らしているらしい。 「私、あなたのこと知ってます」 ユキは私がヨシノリの部屋に 居候していたことを知っていた。 しかし、それは咎める口調ではなかった。 私が自分のこれまでの経緯を話し、 ヨシノリに感謝していると言うと、 「私も同じようなものだから」 そう言ってユキは小さく笑っ

          潮風のブルース #22

          潮風のブルース #20

          #20 サイクリングロード すでに外は白み始めている時間だった。 BARジェラスのカウンターで、 私はホワイトレディーを舐め続けている。 結局、ハルオは外国人女性を持ち帰った。 そのあと二人が どういう時間を過ごしたのか知らない。 私には関係のないことだった。 それよりもハルオが、 海賊の前で私を残して 女と帰ってくれたことに感謝した。 それは、私とハルオの関係を 海賊に示すことになるから‥‥。 ジャズが流れる店内で、 バーテンダーは黙ってグラスを磨き、 私は

          潮風のブルース #20

          潮風のブルース #21

          #21 再会の朝 朝の陽光が海に反射してキラキラと輝いている。 海面の小さなうねりが徐々に盛り上がり、 それが大きな波になって 漂うサーファーを飲み込んで行く。 サーファーは次々に立ち上がる。 光に包まれたヨシノリのシルエットが 白い飛沫から逃げるように滑っていく。 それはまるで、美しいスローモーション映像を 見ているようだった。 光の反射がにじみ始め フォーカスアウトしていく。 「煙草ある?」 その声で目が覚めた。 海から上がったヨシノリが 私の顔を覗き込ん

          潮風のブルース #21

          潮風のブルース #19

          #19 幸福な時間 深夜4時。 BARジェラスの扉を押し開くと、 「久しぶり」と 海賊がしゃがれ声で迎えてくれた。 カウンターにいたカップルの男が振り返った。 金髪の外国人女性を連れたハルオだった。 ハルオは、気さくな顔で笑っている。 どこに座ろうかと迷っていると、 ハルオが横のスツールを指差した。 海賊がオシボリとコースターをセットした。 私は、離れて座るわけにもいかず、 ハルオを外国人女性とはさむ形で座った。 他に客はいなかった。 ハルオは相当酔っている

          潮風のブルース #19

          潮風のブルース #18

          #18 午前4時のペダル マリーンの身の上話につき合ったあと、 私はファミレスから歩いて帰宅した。 バスタブにぬるい湯をはり、 疲れた体を沈めた。 久美子の失恋といい、マリーンの不倫といい、 二人とも好きになった男を 追いかけ捨てられている。 彼女たちにしてみれば、 悩み苦しんだ辛い経験となったが、 私にはそんな彼女たちがどこか羨ましく映った。 これまで恋愛で、 それほどの痛みを覚えたことがあっただろうか。 学生の時もOLになってからも、 言い寄ってくる男たちと 適当

          潮風のブルース #18

          潮風のブルース #17

          #17 深夜のファミレス DeepBlueは、その日も大盛況だった。 勤め始めてまだ日の浅い私にも 顔なじみの客がつくようになっていた。 いくつかのテーブルを渡り歩いて 客の喜ぶお愛想も言えるようになった。 突然、あるテーブルが騒がしくなった。 若いホステスが立ち上がって 客の男にわめきだした。 オーナーのハルオが飛んでいって、 ホステスを下げる。 そのあと、ママが取りなそうと テーブルにつくが、 客は怒って帰っていった。 ホステスも生身の人間である以上、 とき

          潮風のブルース #17