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Record.9 旅立ち

プロローグ~お話を読む前に~ https://note.com/gintone999/n/nf090fc64cad2

大阪へ旅立つ日。


家を出る実感が最初に湧いたのは、愛犬に別れを告げた時だった。
相変わらず死ぬほど尻尾を振って愛情をくれる愛犬に、『元気でね』と告げた瞬間に一気に実感が湧き、切なさがこみ上げた。

涙を振り切り感情ギリギリで、見送ってくれる両親の車に乗り込み帰郷していたメナコを迎えに行った。

お互いの両親に挨拶をし、車に乗ったメナコも家族から離れる淋しさや切なさを知っているから、車の中で自分の気持ちと、私の気持ちや両親の気持ちまでも想像したのか、色んな思いが溢れたらしく先に泣き出した。

もらい泣きしながら両親に気付かれたくない私は口パクで『やめてくれ~!』って言いながら、お互い必死こいて涙を押し込んだ。


駅にはうちの家族が勢揃いした。

新幹線に乗り込み入り口に立ち、家族に見送られるというテレビでしか見た事がない光景が繰り広げられた。

笑顔でお別れをしていたけど、トゥルル~~~~♪ってベルが鳴って、泣いている家族の顔を見た瞬間涙が爆発した。

泣きながら『ごめんね!ごめんね!』と思わず言った後にドアは閉まった。

そのあとはメナコと二人で泣き崩れ、しばらくずっと二人で新幹線のドアの前で泣いていた。

私はまだメナコがいるからいいけど、メナコが1人で大阪に住み始めた初日の淋しさを想像して、それを乗り越えたメナコは凄いなあと思った。



大阪に着きメナコのマンションに辿り着くと、私を歓迎してくれる飾り付けをささやかにしてくれていたメナコの気持ちが嬉しかった。

何より一緒に住まわせてくれるのは本当に有り難かった。

昨日広島に住んでいた自分が今もう全く見知らぬ土地に住み始めている。

事故をした時も思ったけど、人生は一瞬で変わる。




大阪の生活は無事にスタートしたものの、結局全く貯金ができなかった私。

所持金は三万円。

来て一週間くらい観光気分で遊んでいたので、お金もすぐ減り『いよいよヤバい』となったくらいにアルバイトを探した。

雑誌を見て【あかすり、月30万】という求人を発見。

『垢するだけで30万かあ~!行ってみよ~♪』と無知な田舎者は安易な気持ちで面接に行った。


そこは某大手の温浴施設だった。

⚫運命の面接


緊張しながら行くと、面接してくれたのは物腰柔らかい品のあるおじさん店長だった。

私の出身が広島というのでなぜか気に入られ即採用になったが、『手を見せてごらん』と言われ手の平を見せた。

『君の手はオイル向きだね。オイルマッサージやってみない?』

なんのこっちゃ分からない私が『???』となっていると、店長は施術ルームに案内してくれた。

他とは違う豪華な装飾がされた部屋の向こうでキレイなお姉さん達が施術していた。

『ああいう感じ。どう?』

私は、よく分からんけど『とにかく働けりゃ何でもいいっす!』と思っていたので深く考えずに『はい、やります!』と即答した。

そのあと、すぐにオイルマッサージの部署のチーフマネージャーに紹介された。

小柄で綺麗な女性チーフを見て挨拶した瞬間、『あ!』と、自分の深いとこで反応があった。

不思議な感覚だった。

その後の人生でも何度か『あ!』となる人に出逢うのだけど、今は魂で縁がある人の場合に魂が『あ!』となるのが分かった。



次の日から、私はオイルマッサージの技術を覚えるべく講習を1ヶ月受ける事になった。

この頃の時代はまだマッサージ業界が格安旋風を吹き起こす前で、今では高いお金を払って技術を覚えたり、無給で技術を教えてもらう時代だけど、

この頃のこの会社は、講習1ヶ月分に給料を払ってくれたのだ。

これが恵まれていたのも社会経験がないこの時の私には全然分かっていなかったけど。

次の日から私は出勤。チーフマネージャーに毎日技術講習でしごかれた。

途中で辞めてく人もいたけど、私は自分が何になるのかもイマイチ理解せぬまま、とりあえず言われた通りの技術を必死で覚えて苦を感じる間もなかった。

チーフマネージャーは厳しいけど、もの凄く可愛がってもくれた。

大阪は都会だから、田舎者を馬鹿にする人は多いだろうなと勝手に思っていたけど、そういう人は思ったほど居なくてびっくりした。

綺麗で敏腕エステティシャンなチーフが、こんな田舎から出て来たばかりのやつを育て、カラオケに連れて行ってくれたり、仕事中にプリクラ取りに連れて行ってくれたりして遊んでくれた。

気付いたら講習も終わり、施術デビューとなった。


こうしていつの間にか私は、男性専用サウナのVIPコースのセラピストになっていたのだった。

男性専用サウナというのに気付いたのは、わりと後だった…笑

男性専用だからといって決してイヤらしい仕事ではなかったし、特に気にはならなかったけど、誤解をされたりもするし、それなりに大変な事も色々起こった。

セラピストのお話だけでも色々書けるけど、そこら辺はまた別で書くつもりです。

とりあえず、のちに20年続くセラピストになったキッカケはここからだった。


⚫メナコとの暮らし

メナコとの共同生活はめちゃくちゃ楽しかった。

『ファッションショーしようぜ!』って、お気に入りの服を来て長い廊下を猛ダッシュして部屋のドアが閉まりきるまでに滑り込むという遊びをしたりしていた。

大家さんにクレームが沢山来ていたらしいけど、私達と上に住む仲良くしていたメナコの男友達も大家さんに気に入られていたので揉み消してくれていたという強運。

最初はお金がなかったので、コンビニでバイトしていたメナコの男友達が、よくドアノブに期限切れのパンや弁当を袋に入れてかけてくれていた。

『あー!それ私も食べたかったのに!』とか言われながら、メナコと二人で取り合いしながら食べた。

隣の部屋にはメナコが『貞子』と呼ぶ、いつもドアの隙間から覗く髪の長い女性が住んでいた。

私が出勤する時に部屋を出ると、同時にパタン…と向こうのドアが閉まる。

そしてドアの向こうから『うるせんだよ』と聞こえる。

貞子にキレられながらも、若い私達は無邪気にそれも含め楽しんでいた。


しかし、部屋がなんしか二人で5畳のワンルームという狭さ。

最初の給料が想像以上に多かったのもあり、2ヶ月くらい一緒に過ごしたのちにわたしは近くのアパートに引っ越しを決めた。

⚫初めての引っ越し


無知な田舎者。

引っ越すやり方が全く分からなかったので、あまり何も考えずにそこら辺の電柱に貼ってあった怪しい物件の紙を取って来て電話するという無謀な手段に出た。

今考えたら恐ろしいけど……苦笑

実際かなり怪しい不動産だったけど、割りと親切にしてもらえ安いアパートに案内してもらって即決めだった。

特に問題なかったけど、引っ越し当日メナコとメナコの男友達に荷物を運ぶのを手伝ってもらい、終わってから部屋に座って話し始めると二人とも部屋を見てソワソワ変な顔をし始めた。


そして『言いにくいけど………なんかさあ、、、怖くない?』と、二人ともが言い出した。

『今から住むんだからやめてよー!』って言いつつ、押し入れ見てみたら古くて暗い昭和のアルバムが見つかった。

三人で『怖あああ………』という空気になった。

実際のちに幽霊がいっぱいいると分かったので、もしかしたら事故物件だったのかもしれない………。

実は超絶怖がりの私。

もう住むんだからと腹を括ったが、次の日シンクの下からガタガタと音が何度もして、ネズミなのかなんなのか分からないけどめちゃくちゃ怖かった。

その音は初日の一回だけだったから、真っ黒クロスケが引っ越して行ったのだと思うことにしている。

なんだか怪しいが、とは言っても6畳ひと間のこのワンルームがはじめての我が城。

自分の好きなようにできる楽しみもあった。

そして怖がりの割にはなんだかんだこの幽霊アパートに5年も住むのだった。




























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