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#1 アラサーチー牛が英語を勉強してUKに行く話

 ここはどこだ?僕は死んだのか?
いや違った。お昼すぎの時間帯が眠すぎて一瞬意識が飛んだだけだった。異世界にでも転生していればよかったのに。

 僕はしがない5年目ITエンジニア。浪人、留年、中退と就活に響くであろうあらゆる地雷を踏み抜き、その果に空白期間(ニート経歴)まで保持している負け犬だ。今は運良く拾ってくれた情報系の会社でエンジニアに転身し、そこで人生大逆転の大成功を収めている...はずもなく、僕はここでも落ちこぼれのままである。

「血牛男くん、このリスト全然使えないんだけど。昨日SFDCに移行する処理のリストまとめといてって言ったよね。全然できてないじゃん。今日丸一日何をやっていたの?」

「あ、先輩、いえ、一応コレ全部SFDCに移行する予定なんですけど、」

今日も今日とて、僕は先輩の激詰めに遭っていた。僕はとあるプロジェクトの設計段階で躓いている。

「いや、わかんないでしょ。コレ読んで来月入ってくる人が理解できると思う?」

「あーいや、でも難しいっす。全部まとめようとすると時間がかかって仕方がないっていうか、」

「言い訳が聞きたいわけじゃないんだけどなぁ。理解できるかできないかどっち?」

「..まぁなんとかできるんじゃないですかね?わからなければ僕がフォローするとかすれば。」

正直、僕は仕様をそもそもよくわかっていないのだから僕に任せないでほしい、と言いたかったけど、そう言ってしまえばもう仕事をもらえないので僕は踏ん張るしかないのだ。

「はぁ、とりあえず言いたいことは2つあるかな。まず、血牛男くんの作業が遅いのはおいておくにしても、これだといちいち移行元のJavaのソース確認しないといけないよね?最初に言ったじゃん、Javaのソースは全部解析してほとんど見る必要がないくらいにしてほしいって。なんでそうするかって言うと、今みたいにいい加減なまとめ方だと万が一手戻りが発生したときに困るから。そういうリスクを考慮してもっと詳細にまとめてほしかったんだけど。2つ目は血牛男くんがフォローするって言ったけど、そもそも君が本当に今回の要件をわかってるのか怪しい。もちろんある程度フォローは必要だよ。でもそのときに血牛男くんが仕様を説明できる?この粒度ではできないよね。そこのところどう考えてるの?」

「はい..すみません。」

「いや、どう考えてるのかって聞いたんだけど..」

このあと30分激詰めは続いた。こういうことを言ってくれる人がいるだけましと誰かは言うかもしれないが、僕は断固として否だ、優しい世界でミスしても激詰めされない世界で仕事がしたい。


「はぁ、今日も疲れた。」

今日は火曜日だった。明日が水曜日、明後日は木曜日、明々後日が金曜日。ふぁぁ、土日が遠いよぉ。僕はこの地獄がまだまだ続くことに震えながら帰路をゆく。跨線橋を登り切るとそこは新幹線の高架下で、高架を支える柱が奥の方まで続いている。僕はここを通るたびにまるで伏見の鳥居のようだと思っていた。跨線橋の欄干は驚くほど低く、恐る恐るその下を覗き込むと、ただただ柔らかそうな土の地面が広がっている。この景色が僕のすべてだった。鳥居の連続性は、この街から出られず何者にもなれなれない未来を暗示しているようで、たとえ飛び出したとてその先には痛みが待っているだけだ。

転職を考えたこともある。ITコンサルなんかはDXやらM&Aやら要件定義やら耳障りが良くて僕好みだった。とにかく僕は現状が気に入らなくて、今をときめく存在になりたかった。アプライを送ったり、転職エージェントを頼ったりしたものの、結局一度も面接にたどり着くこともなく、にっちもさっちもいかなかった。

丑三つ時に一人やけ酒をしていると、一通のラインが届いた。

『お疲れ様〜、今何してる?』

元カノからだった。何時だと思ってる、と思ったが時差があるのだった。そう、元カノは今イギリスにいるらしい。インスタで知った。僕が仕事に忙殺され、明日(というか既に今日)が来るのを怯えながら過ごしているときに、おそらくイギリス時間で退勤後に暇を持て余してLINEを送ってきたというところだろう。その能天気さに腹立たしくはあったが、僕は適当に相手してやろうという気分になった。

『酒飲んでる』

『え、まだ起きてるの?』

『そう思うならおくってくんな』

『うわー相変わらず辛気臭。ご飯食べてる?』

『うっせー食べてるわ、チーズ牛丼』

『チー牛じゃん笑 うける』

『うけねーわ、そっちはマズ飯食ってる?』

『思ったより美味しいよ!ほら』

元カノから送られてきたのはいくつものキラキラした名前もわからない料理たちだった。どれもうまく撮れていて美味しそうだった。そういえば画角なんかに結構こだわるやつだったなぁ、と少し昔を思いだした。

『おお、たしかに美味そう』

『スティッキートッフィープティングとかスコーンとかスコッチエッグとかは本当に美味しいよー、フィッシュパイとかブラックプディングは当たり外れが激しいけどね』

『スコーンだけかろうじて分かる。てか全部カロリー高そう』

『いやまじでそうー。まじで日本食が恋しい!』

『味噌とか売ってなさそう』

『それ!味噌汁作れないとほんとつらい。仲良くなった日本人に分けてもらってる!笑』

『おお、持つべきはちゃんと味噌を持ってきてる日本人の友か。ところで英語は通じるん?』

『皮肉うざっいや、英語全然通じない笑 でもなんとかやってる!』

『それ、ほんとにやれてんの?』

『わかんない!笑』

元カノは僕とは違ってアクティブな人で、おまけに美人だった。誰が見ても明らかに釣り合っていないカップルだったから、僕はいつ彼女の気が変わって別れを切り出されてもおかしくないと思っていた。なんで僕と付き合っていたのかと今でも思う。いざ別れを切り出されたとき僕は悲しくて泣いた。

『てかなんでイギリスに行こうと思ったん?』

『イギリスが好きだから、絶対行ってみたいと思ってたから!』

おそらくだが彼女は、イギリスに行くことを別れる口実にしたかったのだろうと思っている。彼女もこういう口実がなければ別れられないくらいには、彼女も弱さを持っていたのだろう。あるいはそう思わずには僕が自分を納得させることはできなかったのだ。

『とりあえず元気そうで何より。眠いからもう寝るわ。』

『うん、ごめんね夜中に連絡しちゃって!仕事がんば!また連絡するね♡』

なんでハート?と思ったが、なぜか少しだけ気が楽になった気がする。彼女が少しでも僕のことを思い出してくれたという事実だけで、とりあえず明日(というか今日)は乗り切れるかもしれない。

季節は夏の終りといえど、未だに日の出は早かった。僕は窓の外の白み始めた空を見て、睡眠時間の残り少なさを嘆いた。ああとため息を付き浅い眠りにつくのだった。


イギリス,ロンドン郊外のとあるPUB

「はぁ、悪いことしちゃったかな。」

ズンと体を突き抜ける重低音の響くダンスフロア、若い男女がアルコールを片手にそれぞれの時間を謳歌していた。
そんな空間に似合わず、若い日本人女性は一人ため息を付いていた。

「咲ぃ、Danielって人が一緒に踊ろうってさ!イケメンゲットするチャンスじゃね?」

べろんべろんに酔った、日本人女性が一人私に絡みついてきた。
彼女はこっちに来て仲良くなった友人の一人だ。

「ノーセンキューって言っといて。」

「えぇ〜っ!なんでよ〜」

せっかく念願のPUBに来たものの、私は全然躍る気分になれなかった。
思った以上にクラブ的な雰囲気でいまいち好きになれず、既に帰りたくなっていた。

「私、英語喋れないし。」

日本に置き去りにしてきた彼にはああいったものの、
私はもう日本に帰りたくなっていた。


この物語はチー牛の僕がUKに行くまでの物語である。


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