スガシカオ『黄金の月』解釈を軸に、【挫折の後】について本気で考えてみた
今回、スガシカオの『黄金の月』の解釈を書きたい。最近、なぜだか心惹かれていたので、真剣に解釈を考えてみたくなった。
さて、この曲には謎が多いが、私なりに概ね解けたように思う。
「挫折経験がある人」、「子供から大人になったと感じたことがある人」には、心に刺さるだろうと思う。
5000字以上の長文だが絵は多い。頑張って作ったので、絵だけでも見てくれると嬉しい。
ちなみに、「歌詞解釈編」「深掘り編」がある。前半では歌詞解釈、後半では連想やテーマの深掘りなどをする。
解釈を読む前に、一度曲を聴くことをおすすめする。
★★★歌詞解釈編★★★
●強い情熱があったのに、自分を偽ることを覚えた「僕」
物語の主人公は、何か情熱を持っていたことに失敗した。あるいは現状うまくいっていないのだろう。
それでも、生きていく必要がある。そのために、自分の心を偽ってやりたくないことをやることも多いはずだ。そうしているうちに、元々の情熱が弱っていくことだってあるかもしれない。
高い理想を持つ人が、やりたくないことだらけの厳しい現実を生きている。理想が高い分、そのギャップは相当苦しいのではないだろうか。
●なかなかうまく言えない、「大事な言葉」とは?
「大事な言葉」を言いかけて、どうしても言えない。では、「どういった類の言葉で何故言えないのか?」という疑問がわく。
前提として「語り手=理想と現実のギャップが激しくて挫折した人間」と考えよう。次の3つの可能性がありそうだ。
第一に「自分に対して」。「自分の理想はこんなレベルではなかったはずなのに。結局現実に押しつぶされて悔しい」という気持ちだ。しかし、情熱は今や涙より冷えた。信じることすらも難しくなった。つまり、「情熱の実現できてなさに怒る言葉」も、情熱が冷めている時点で矛盾している。
第二に「世間に対して」。語り手は希望や情熱を、恐らくかつて世間の人々より強く抱いてきた。とすると、「皆、情熱があるのだったら足掻いてみた方が良いのに、なんでやらないの?」と思ったかもしれない。しかし、語り手は情熱を燃やした結果失敗した。つまり、「情熱を持つ大切さを世間に訴える言葉」も、失敗した時点で説得力がない。
第三に「昔の自分に似た子(=君)に対して」。推測だが、歌詞に登場する「君」はかつての語り手に似ている(=純粋な理想家的)のだろう。そんな子を見て、込み上げるものがあるのは想像に難くない。「そのまま続けて頑張って」とか「油断すると失敗するぞ」とか。
しかし、語り手自身は失敗した。つまり、「応援する言葉」「注意喚起の言葉」も、説得力がない。もしくは「君」にとっても返答に困る。「俺は甲子園行けなかったけどお前は行け!」と言いに来るOBが野球部に来ることをイメージしてほしい。嫌すぎないか?
●情熱を燃やした時期、苦しみつつ頑張った時期を回想
語り手が情熱を燃やしていた時期(真夏の午後)は過ぎ去ってしまった。それから、暗い現実の中で生きなければならなくなった(闇を背負ってしまった)。
そんな語り手が暗い現実の闇の中でひたむきに頑張ろうとした時、心の支え・道しるべ(うす明かり=黄金の月)があったのではないかと推測する。
例えば、「ミュージシャンの詩」がそうだったのかもしれない。誰だって、美しい歌を聴いて希望を信じて頑張りたいと願ったことが、一度くらいはあるはずだ。
●「願い」と「ウソ」をあわせて「黄金の月」を作る、とはどういうことか?
「君」は、何かを願う。恐らく、「君」は「ぼく」に似た純粋な理想家だ。「ぼく」は、そんな「君」に「絶対大丈夫だよ」などと、信じられないのに嘘をついたのではないだろうか。(「ぼく」は挫折者で、情熱も冷めており希望を信じられない)そんな「願い」と「嘘」を抱く二人が「永遠を誓うキス」をする。永遠なんて嘘だ。あまりに儚い。
だが、そんな二人が寄り添うことで、「黄金の月(=暗い現実を生きる中での道しるべ)」は生まれる。
「ぼく」が「できるだけの光をあつめ」るというのは、「希望は実現できるよと伝える」ことを指しそうだ。希望を信じていない「ぼく」には、キツイ行為だ。心なしか、「光をあつめて」と言うスガシカオの声は、苦しそうにも聴こえる。
●本当はネガティブな「ぼく」の内心
最後に、ネガティブな「ぼく」の内心が続けざまに語られる。
自分の未来や現状は明るいものではないと感じ、「君」の未来が信じられない。さらに、いずれ「君」も純粋さを失うだろうと思う。加えて、なんとか二人で描いた「黄金の月(=頑張る道しるべ)」すら、まやかしかもしれない。(それもそうだ。「君」はまだ純粋で厳しい現実を知らない甘ちゃんだから願いも茫洋としてそうだし、「ぼく」の希望を信じる言葉も嘘だから。)
「~ても」と連続であるが、これは何を意味するのだろう。
これは、「例え~(という残酷な現実や未来があるとし)ても、それでも黄金の月を描こう」という言葉が隠されているのではないだろうか。
少なくとも、信じられているうちは黄金の月があること、心が救われることを「過去の経験上」知っているのだろう。その結果挫折したにしても、だ。
すると、「過去の自分に似た子を愛する≒自己嫌悪を抱いてきた過去の自分を愛する」とも言えそうだ。
★★★深掘り編★★★
●これは、スガシカオが「鹿目まどか」になる物語かもしれない
「黄金の月」の物語解釈をしながら、思ったことがある。
これって「魔法少女まどか☆マギカ(まどマギ)」の構造とかなり近しいのではないか。
↓まあざっとこんな感じだ。
①憧れの地に行く
②仲間と協力して情熱を燃やす
③残酷な現実を知る
④過去の自分に似た存在(=魔法少女)を呪う存在にならない。
この、①~④のような構造は、概ね『黄金の月』にも言えそうだ。仮に、「黄金の月の語り手=スガシカオ」と妄想してみよう。
↓スガシカオが「黄金の月」を書くに至った経緯の妄想
鹿目まどか(神)は、魔法少女を呪う魔女にならなかった。(魔法少女が魔女になるルール事態を改変した)
スガシカオは、かつての自分に似た存在に優しい嘘をつき呪いをかけることはなかった。(嘘と願いで黄金の月を描くことにした)
つまり、ある意味スガシカオは、「鹿目まどか(神)」になったと言って良いのではないだろうか!(?)
●「ロック=子供だまし」なのに、ロックバンド活動をする理由
思い出したことがある。某ロックミュージシャンが、「ロックなんて所詮子供だまし。」と言ったらしい。昔聞いた時から、「じゃあ、何故そんなことをするの?」と思い続けてきた。
しかし、今回解釈して思った。「嘘に騙される」というのも、何かをするための1つの大きな原動力なのだ。その力というのは、案外小さなものではない。
嘘からでも、もたらされる美しいものがあるかもしれない、と考えた時、その力を軽はずみには否定できない。場合によっては嘘も光り輝く。そうだ。私にとって、数人の詩人の言葉が、黄金の月だった時はあった。
●(自分語り)教職課程を辞めたのちも、しばらく塾のバイトを続けた
さらに少々苦々しい「黄金の月」体験を思い出した。
昔、教職課程を辞めた後も家庭教師のバイトを続けた。その時「将来先生になりたい」という子がいた。私は「素敵やん!」と全力で伝えた。(しかし、本心は「いや~、結構大変やと思うで」って気分だった。)
あの子は今、どうしているだろう。私は嘘つきだったが間違った行動ではなかったと改めて思えた。
●筋肉少女帯の歌について(「オタクであること」と、救済の可能性)
もしかしたら、「オタクであること」で挫折から救済されるかもしれない。
筆者は先日、筋肉少女帯の『①ノゾミのなくならない世界』『②香菜、頭をよくしてあげよう』『③ハッピーアイスクリーム』の歌詞解釈をした。
それぞれに対して、私なりに解釈した作品テーマがある。これは挫折への救済となりうるかもしれないと思う。
①オタクとして新たなものに何度でもハマる
②オタ活によって自分の価値観を作って凹むのをやめる
③過去の黒歴史を昇華して、創作活動するオタクとなる
↓良ければ暇なときに、是非とも読んでほしい。
●坂口安吾の「堕落論」を少し考えた
坂口安吾の「堕落論」を思い出していた。
第二次世界大戦で敗戦したのちの日本で出版された。戦後の混乱や絶望に苦しむ人々から絶大な反響のあった作品だ。
特に思い出していたのは、以下のラスト数行。
世間製の世間サイズの理想なんて、自分自身のサイズに適していないことが多い気がする。人からもらった靴を履いていたら、靴擦れを起こして足を痛めてしまった。それなら、それまで靴を履いていた靴を多少参考にしつつも、自分にあった靴を特注で作り始めるべきなのだ。
靴擦れ(=挫折・堕落)は、嫌なことだ。でも、それによって本当の自分の足の大きさに合った良い靴が作り始める。だったら、手痛い靴擦れも自分自身を真の意味で救うきっかけと言えなくもない。とすれば、堕ちきることにも意味はあったのだ。
「黄金の月」の語り手は、何かにガチで挫折したようだ。しかし、だからこそ本当の意味で自らを救い始めることを始める日が来るのではないかと思う。
●柳原陽一郎の「ホーベン」
色々考えた後に聴くと、良いなあって思った。
手製の地図しか頼りにならんよな…。
●hideの「ピンクスパイダー」
hide with Spread Beaver の「ピンクスパイダー」も是非聞いてほしい。
「自らのジェットで」、そうだよね…。
●まとめ:「信じる」から「知る」、を経た僕たちが向かう場所
人は全知全能ではない。知れること・できることには限りがある。
その中で、疑いつつも何かを信じて進もうとする。
(↑筆者は特に疑い深い性格をしている)
「信じ」て進んだことによって、失敗して嫌なことを「知って」しまうかもしれない。挫折して、綱渡りのロープの綱から落ちるかもしれない。
だが、落ちた人間は、そこでおしまいか?否、生きている限り、トランポリンみたいなものに救われたりする。
その先に無限の選択肢がある。大いに悩むだろう。
悩みつつも、トランポリンの上でしばらく空を眺めた後、また立ち上がって、何かしらの綱渡りを始めれば良いだろうと筆者は思う。
綱渡りのロープから落ちて、涙も冷たくなってしまった「ぼく」は。
立ち上がって、ひとまず「自分と似た子に嘘をついてでも優しくする」という綱渡りを新たに始めたのだろう。
●最後に…スガシカオの『夜空ノムコウ』を聴こう
ここまで長文を読んでくれた酔狂で優しいあなたには、ぜひともスガシカオの『夜空ノムコウ』を聴いてほしい。
ここまで、こんな長文を読んでくれてありがとう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?