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つぼみのついた花を買う

一日、一日と悪い方へ国が転がっていく。それは1993年生まれの自分には物心ついた時からずっと感じていた感覚で、もはや悪くなっていくのが当然だというふうにすら思っていた。というか、今もそう思っている。

だけど今(この言い方は嫌だが)社会を動かしている政治家や経営者はだいたい1940年代~1960年代の生まれで、右肩のぼりの強くてすごい!そんな日本で育ってきた。だからずっとその幻影を追ってしまうのだろう。だけど、それはもう無いんだよ、おじいちゃん。ちゃんと現実を見て。

と、書きながら、わたしたち20代も現実を見なくちゃいけないと思っている。一日、一日と悪い方へ国が転がっていく。だけど最悪のことにはならないだろう。なんだかんだで日本は賢い国なんだ。金持ちにはなれないけど、そこそこのまま、ずっと生きていけるだろう。それもまた幻影だ。たまたまこの30年ちょっとそうだったに過ぎない。明日も同じとは限らない。だからちゃんと現実を見て。

Twitterで黙らないことにした。思ったことをすぐ言う。忖度しない。女だからきれいな言葉を使えと言われてきたけど、それもやめる。信じらんねえもん今の政権。今すぐやめろ安倍晋三。ついでにお友達内閣も総辞職じゃ。汚職ばっかで嫌になるわ。早くやめろ。わたしは止まらない。それは誰もわたしに指図できないと気がついたから。
美しいものを愛することと、おかしいと思うことを思ったままに喋ることは並行して可能だ。
だから今日は花を買った。つぼみの花。これはわたし。そして今の日本。なんて、花と自分と国を重ねてしゃべるとは、まさしく右翼的だ。自分の中に全体主義的な気持ちがあることに気がつく。つぼみを見つめる。わたしはわたしで勝手にやるね。

しあわせの絶頂にいる時、それが喪われることを常に考えている。常に考えて心の準備をしていなければ、本当にその時が来た時に立ち直れなくなってしまうから。でも、それって弱虫だね。絶対にしあわせを守る。そういう風に変えた。気持ちを変えて、誓った。

「もし日本人のひとりひとりに守るべき、楽しい美しい暮らしがあったなら、それを犠牲にするような国にはならなかったはずだ。そういう暮らしを作りたい。美しい暮らしのための情報を提供する雑誌を作ろう。」
と、『暮しの手帖』の創刊者・花森安治は言った。

わたしは、こう思う。
花森安治の言うところの≪楽しい美しい暮らしを守る≫とは、権力者や、権威のある人間の命令を逆らわずに従ったりすることじゃない。ましてや横暴に耐えたり、彼らのかかげる大義名分のために殉死したりすることでは絶対に無い。
わたしたち一人一人が、楽しさや、美しさのある生活を、これまでと同じように享受するために、≪権力者に対して我慢しない・主張する・まちがっていることはまちがっていると言う≫ことなんじゃないかと思う。

と、3月2日に書いた。たった2日前。だけどずいぶん時が経ったみたいに、あの日からわたしはしゃべりたいことをしゃべれるようになった。変われる。変わろうと思った瞬間から。変わるのが怖ければ、わたしは待っている。飛び降りておいで。受け止めるよ。

そのために物語を書く。だから明日も黙らない。守り抜くために主張する。美しく楽しいわたしの生活を。

よしもとみおり

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