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2011年3月11日に高校3年生だったわたしへ

Twitterに登録した日を覚えていますか?#MyTwitterAnniversary

と、突然問いかけられた、Twitterに。画面には「8」と描かれた画像が添付されており、もうそんなに経つのかとわたしは驚く。
わたしがTwitterをはじめたのは、2012年の2月の終わりだった。あの頃わたしは一年間の浪人期間を終え、ようやく進学先が決まったところだった。当時は第一志望に落ちたために泣いてばかりいた。たぶん、mixiに言えない泣きごとをつぶやくために始めたのが、Twitterだったと思う。

1993年1月生まれのわたしは、本当なら、2011年春に大学生になっているはずだった。実際、2011年3月頭には大学も決まっていたし、入学金だって支払って、下宿先も決めていた。だけど、東日本大震災が起こった。いろいろあってその年、わたしは大学に進めなかった。

2011年、浪人中の一年にドはまりしたのがAKB48だった。2010年夏にヘビーローテーションで大ヒットを記録した彼女たちは人気絶頂。テレビを見ないわたしでも、「インターネット」で毎日彼女たちの姿を見ることができた。
正しくは、「2ちゃんねるのまとめサイト」で毎日彼女たちを見ていた。

当時はまだYouTubeと言えば違法アップロードされた楽曲やライブ映像を見ることが主で、コメント欄でやり取りすることもさかんではなかった。Twitterはハマってしまいそうで手を出せず、mixiでは同級生のきらきらの大学生活を目にするのがつらかった。(インスタは影も形もなかった)
つまりはSNSと呼ばれるサービスの数が少なかった。
だから当然のようにまとめサイトにたどり着いた。まとめサイトは、ちょうどその頃台頭し始めたばかりで、Googleのサジェストでも頭の方に出てきた。クリックすると、明るく画像がちりばめられたデザインのページが出てくる。暗い灰色の画面の2ちゃんねると比べて、圧倒的に入りびたりやすかった。

その頃の私は、日常的に2ちゃんねるをのぞくようになってから4年がたっていて、ようやく2ちゃんねるのルールが身にについてきた頃だった。高校生のころに眺めていたのはもっぱら喪女板で、女性だけの環境が心地よかった。とは言ってもROM専で、ごくまれにチラ裏という日常をつぶやくようなスレッドに投稿していた。
だからまとめサイトを見たとき、「これは2ちゃんねるじゃない」と感じた。だってあまりにも均一すぎる。

例えば、AKB48の少女たちの一挙手一投足に、2ちゃんねるのスレッドが立つ。そこに好き勝手なコメントがよせられる。見るに堪えない過激なものもある。けれどあまりにも酷いものには、いさめるようなコメントがつく。そしてさんざんぱら「これは全部便所の落書きだから」というような内容の、投稿者を我にかえさせるようなシニカルなコメントも寄せられる。ごった煮の鍋。嘘を嘘と見抜けない人が使うのは難しいインターネットの便所の落書き。それがわたしが4年見てきた2ちゃんねるだった。

だというのに、このまとめサイトのページはまるで違う。一つのタイプの意見がまるで識者の意見のようにまとめられている。具体的に言えば、過激なものだけ残し、いさめるようなものは削除された状態で。

そこには、00年代に2ちゃんねるの掲示板でさんざん見かけた「これは全部便所の落書きだから」という前提を忘れさせるような均一な世界が広がっていた。

……と、ここまで分析できているのにわたしはまとめサイトにハマった。
なぜって?原発事故がそれよりもおそろしかったからである。明日が来るのか本当に不安だったし、この先の未来がおそろしかったからである。原発事故を忘れられるならなんでもよかった、当時の18歳の少女にとっては。

AKB48のことは好きだったが、今となってはまとめサイトを巡回するためにコンスタントに公演動画を見て、研究生の名前をおぼえていったのではないかとすら思う。毎日彼女たちのことを考えている間は、原発事故のことを考えなくて済んだ。だから余計にのめりこんだ。

のめりこむうちにもう一つわかったことがあって、まとめサイトは非常に元気のいい「プラットフォームサイト」ではあったが、けして「SNS」ではなかった。しかし勘違いしてしまうような「仕掛け」がしてあって、わたしは一言も発言していないのに、まるでそこに書いてあることがわたしの意見のように錯覚するようになっていった。

と、ここまでわかっているのにハマった。だってまとめサイトに入り浸れば、均一な世界が見れるから。混沌とした現実や、現実と同じぐらい混沌とした掲示板なんて見たくなかった。だから当然というか、当時はニュースも見なかった。原発事故以降、テレビをつけたのはFNS歌謡祭ぐらいで、新聞記事はネットも紙面も絶対見なかった。見たら心が壊れてしまいそうだった。

わたしは、本当に恐ろしいことを見ないように見ないようにつとめて。大丈夫じゃないのに大丈夫な振りをして。ぐっと黙ってしまった少女の頃のツケを、今、払っている。

だけどツケは払える。わたしが変わりさえすれば。

今日、安倍内閣総理大臣記者会見を見た。見たら支持者が「安倍さんは頑張ってるんだから」という理由がわかった。この人は自分の気持ちのことばっかり話してる。頑張ってる気持ちの話ばっかりしてる。現状の話やこれからの話、全然してくれない。

というような内容のツイートをしたら、思いのほか、いいねがついた。励まされる。わたしは一人じゃない。だから変われる。この世は均一じゃない。でも、だから、より良くなる。
少女の頃、布団の中で震えて泣いていたわたしを抱きしめてやる。同じように今、不安な人に届くように、文章を書く。

黙らない。語る。泣いたり怒ったりする。誰に笑われても。わたしは信じる。変化を信じる。それがわたしの愛ってやつだから。生きるってことに対してのね。

それじゃあ今日もおやすみ、明日も元気な君でいてね。

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