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Diorの桜の下で春思う

ものすごく筆が乗っている。だから今日はnoteを書かずにこのまま新作を執筆するぞ、と思っていたのに、日付が変わるころが近づくとなんだか居ても立っても居られなくなってしまった。だから今こうしてブラウザを立ち上げ、キーボードをたたいている。
いつのまにかnoteを書く作業が自分のルーティーンになっていたことを知る。良い癖も悪い癖も、きっと思っている以上にすぐに身につくのだろう。できるだけ良い癖を身につけさせてあげたい、自分に。

昨日、美しい景色を見た。阪急梅田百貨店のDior展でのことだ。
日本をテーマにしたドレスたちからはじまるこの展示は、あいだにアーティストがつくったDiorのバッグをモチーフにしたオブジェたちを挟み、最後に実際にDiorの工場でバッグをつくる職人の方(わたしが行ったときはフランス人の女性が3人)が作業するデモストレーションで終わるという構成だった。
そのデモストレーションで、ある一人の来場者の女性が、壇上の職人から話しかけられていた。その人は手にDiorのバッグを持っていた。
その時わたしは驚いた。
ブランドの高いバッグを買い、わざわざそのブランドの展覧会に足を運び、実際にバッグができあがるデモストレーションを見に来る購入者がいるのかと。
わたしが身に着けるものに無頓着なのも相まって、それは衝撃的だった。わたしはブランドものを欲しいと思ったことはほとんどなく、使いやすさや値段のお手ごろさで選んでいた。だからこそ、単純に名前の影響力が好きだとか、持っていると自慢できるとかとはまた違った理由で、一つのブランドを愛する人がいるのかと驚いたのだ。
職人は「バッグを持ってくれてありがとう、何か質問はありますか?」というようなことをおそらく言っており、間に通訳者が入って、来場者の彼女はバッグの手入れについてたずねていた。
わたしは数日前のストライプインターナショナルの事件を思い出していた。

「earth music&ecologyの話題、本当にしんどいからあんまり話題にできない。earthのリバティプリント、手芸屋で買うと1m1000円ぐらいの布を使ってワンピースをつくってくれていて、好きで買っていた。寝巻きもearthだった。でも強姦する人のつくった服を着て過ごしたくないから、たぶん捨てると思う。人生の本当にしんどい時期に川崎ラゾーナで見つけたかわいい服たち。何を着れば強姦されないですむのかばかり考えて、自分で服を選べなかった時期に、初めて心惹かれて、プロパーで買ったearthの服たち。ほんとに宝物だったのにな。」

事件についてはぜひ検索してほしい。ともあれわたしは数日前にツイッターにこうこぼした。だけどまだ、上記の服たちを捨てられていない。それはわたしにとってあの時買った服たちが、本当に宝物のような服だったからだ。そして裏切られたという気持ちが強いからこそ、すぐに捨てることができないのだ。だけどストライプインターナショナルの販売している服の値段を考えれば、その裏に泣いた女性がいることも当然のような値段だった。わたしの思いと、わたしの購入者意識は乖離していた。

遠く離れた国の購入者に対して誠実に対応するDiorの職人を眺めながら、なんて美しい景色だろうと思った。今度はわたしも、この景色の一部になりたい。だとすると、自分の購入者としての意識をもっと高めていかないといけないのだろうなと思いながら、会場を後にした。

良い癖も悪い癖も、きっと思っている以上にすぐに身につく。できるだけ良い癖を身につけさせてあげたい、自分に。

よしもとみおり@yoshimoto_miori

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