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ラブリーと社会派は共存できるのか?

ラブリーと社会派は共存できるのか?
答えはできる。最近そう思うようになった。

以前は思ってなかったんか~い!と言われそうだが、以前だって思っていた。ラブリーと社会派は共存できる。でも、ほんとにできるのか?と問い詰められたら自信が無かった。
社会派なところ、まじめに世の中を考えているところ。そういう良い点が誤解されちゃうから、服装や言動を変えた方がいいよ。と、親しい人(親しかった人)から言われたことがある。当時、言動を変えることはむつかしかったから、服装を変えた。でも、「誤解」ってなに?

自分の生活の範囲外のことを書くな、と2度言われたことがある。それは子供の頃、それから劇作家としてデビューしてすぐ。
後者のタイミングでわたしにそういうことを言ってきた人間は、わたしよりも文章能力もなければ演劇作品をつくる能力もない人間だった。言うなればやっかみだった。そう、わかっているのに、子供の頃に同じようなことを言われたせいか、その言葉が妙に胸にひっかかって、わたしの気持ちを痛めつけてきた。
でも言わせてもらえば、わたしの生活には小さなころから社会派と形容されるような出来事がゴロゴロと転がっていた。震災、被災、人種差別、女性差別、おそろしい性暴力……。わたしの生活の範囲内にそれらはあった。だから書いたのだ。だから演じたのである。
「あんたの世界にはそういったことが無かったの?本当はあったでしょ、見ないようにしてただけで。」
今ならそう言い返すだろう。だから今、そう言い返す。

わたしはラブリーなものが好きだ。ラブリーな服を着ている自分も大好きだ。それを押さえつけていた時、やっぱりかなり苦しかった。

この仕事はわたしの心一つが頼りだから、もうそんないじわるは自分にしないと決めた。

Twitterのアイコンを変えた。飛び切りラブリーなわたしの顔に。
明日もラブリーなまま生きる。生きるというのは、自分を押さえつけないということだから、新聞は読むし、国会は見るし、外国語のニュースを調べるし、言いたいことは言う。
いつか言えなくなる日が絶対に来ないように、今、やる。

それでは今日もおやすみなさい、明日の元気で過ごしてね。それはつまり、君が好きな服をきて、好きに生きるということだよ。その姿を楽しみにして、わたしは今日も眠りにつくね。


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