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メモ的なもの

昔の記憶がふと、よみがえることがある。

だいたいそれはそのときの言葉とかではなく空気の温度とか、湿度とか、色みたいなものだけ覚えているので
それを自分の作品で表せないかといつも躍起になっている。

そしてだいたいそれは誰かと手を繋いでいた日のことで、私は誰かと恋をするということが元来好きな人間なんだなと思う。

恋することは自由だ。
自由というか、止められないこともある、という感じだと思う。

自ら壁をつくって、パートナー以外のひとを断固として受け入れないひともいる。
それはそれとして、感情として起こりうるものという意味で。

だいじなのはそれを表に出して行動にうつすか否か。思ったことをすぐ口に出す脳みそなら、きっと私はむやみやたらに誰にでも告白をするひとになっている気がする。

少し前の自分は誰にでも恋をしていた。ほんのささいなことに、かけられた言葉に、いちいち恋をしていた。大なり小なり、感情が動く。それが、自身が恋物語を描くために必要な敏感さだと思ったりもした。

ただ、私は結婚してから、それでもやっぱり社会性のある人間として、その敏感さであらゆるひとに恋をしては良くないのだなと思ったりした。
結果、なんだか物語が他人事のようで。
ほんとうは他人事なのだけれど。

とりあえず、作家業を再開させるには、自身もあらゆるひとのいいところに恋をするような敏感さを、とりもどす必要がある気がする。

壮大なリハビリ中なのです。身体がうまく動かないけれど、どうにか動かしたくて、ここに戻ってきたのでした。

どうやら流行りのマンガを読むに、恋の呼吸の使い手ならば、このひとだと決めた相手以外にも、ひとのいいところを見つけてはきゅんとすることができる。

恋の呼吸、会得するか……。

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