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新たな世界の入り口として『パパはわるものチャンピオン』

プロレスには全然興味がなかった

プロレスに対しては、正直何の感情も抱いていなかった。
職場の同僚や友人にプロレス好きはいるものの「プロレスの何が良いのだろうか、まあいいや」と関心という感情を軽く流しているだけだった。

パパはわるものチャンピオン』を観るまでは。

『パパはわるものチャンピオン』は、『パパのしごとはわるものです』とその続編である『パパはわるものチャンピオン』、2冊の絵本を映画化したものだ。
主演は人気プロレスラーの棚橋弘至さん、その他新日本プロレスのレスラーが多数出演した作品だ。

かつてプロレス界のエースとして活躍した大村孝志は、膝を怪我し年もとったため、顔を隠し悪役レスラーゴキブリマスクとしてプロレスラーを続けている。
息子の祥太は父親の仕事を知らなかったが、学校で将来の夢に関する作文を書いたことをきっかけに、父親がプロレスラーであること、わるいことをするヒールレスラーのゴキブリマスクであることを知る。
祥太は「わるもののパパなんて大嫌い」と言い放つなど反発するが、ヒールであろうがなんだろうがレスラーとしての誇りを持ちリングに上がる姿を見て、父親の仕事を見直すようになる。
というストーリーだ。

もうね、かっこいいの一言。

現役のレスラー達が出演しているので、試合のシーンの迫力が凄い。汗がこちらまで飛んできそうだ。

もちろん試合でのレスラー達はかっこいいのだけれど、試合外の部分でも彼らは魅せる。

「プロレスは勝ち負けじゃない。生き様なんだ」

彼らプロレスラーは、生き様も含めてファンに共感してもらい、元気や勇気を与える存在。
ヒールであるゴキブリマスクは皆から黄色い声援を受ける明るい表舞台に立つことはできない。ただ、かつて頂点にたったが大村孝志が今はゴキブリマスクとして必死にリングに立っている。
そのストーリー、生き様に共感し、観客はブーイングという声援を送る。
そして試合の後、こう話すに違いない。

「ゴキブリマスク、本当にずるい!あー今日も面白かった」

プロレスというと50年前ぐらいに日本中で人気だったイメージだが、それもうなずける。戦争が終わり、課題が山積みな中「さあこれから頑張っていこう!」という時代感。そんな中、皆に勇気や元気を与えてくれるプロレスは、そりゃあ人気が出る。

実際に試合を見に行くことには敵わないのだろうけど、入り口としては十分。半日前まで「プロレスの何がいいのだろうか」と思っていた自分は、今プロレスを見に行きたいと思っている。

プロレスと同じく詩にも興味がなかった

映画を観て、今までほとんど興味がなかったものの魅力を理解し、強く惹かれるようになった作品として、本作の他には直近だと『パターソン』がある。

普段の生活で詩を読むことはあるだろうか。
小学校、中学校の国語の教科書に載っていて、なんとなく勉強をした人がほとんどではないだろうか。些細なことをなんでこんな複雑で大げさな表現をするのだろう、そう思っていた。

『パターソン』は何も起こらない映画である。

「いやいや、何も起こらないことはないだろう。間違って公開されてしまった作品ならわかるけれども、海外で作られて日本で公開されているほどの映画がそんなことはないだろう」

そう言われても、本当に何も起こらない。

スター・ウォーズシリーズでカイロ・レンを演じていることが有名なアダム・ドライバーがバスの運転手パターソンを演じている。彼はあまり感情の起伏のない人物だ。
平日は、毎日ほぼ同じ時間に起き妻にキスをする、同じ朝ご飯(シリアルに牛乳)を食べ、日中はバスを運転し、夜はご飯の後に犬の散歩に出かける。その途中で常連のバーに寄り、ビールを一杯飲むのが彼の楽しみだ。

少し変わった妻(モノクロの草間弥生風な文様を好み、部屋を勝手に装飾する)がいたり、その時々で人と会って話をしたりはするが、ルーティンに変わりはない。
彼の表情にも大きな起伏はない。そんな毎日、月曜日から月曜日までを映したのが『パターソン』だ。

そして彼には趣味がある。

詩を書くこと。

自分のバスに乗り込んで発車を待つ時間、1人で過ごす昼休みの時間、家に帰って夕ご飯までの時間。隙間時間で彼は詩を書く。

『Love Poem』

We have plenty of matches in our house.
We keep them on hand, always.
Currently our favorite brand is Ohio Blue Tip,
though we used to prefer Diamond brand
That was before we discovered Ohio Blue Tip matches.
They are excellently packaged, sturdy
little boxes with dark and light blue and white labels
with words lettered in the shape of a megaphone,
as if to say even louder to the world,
“Here is the most beautiful match in the world,
its one-and-a-half-inch soft pine stem capped
by a grainy dark purple head, so sober and furious
and stubbornly ready to burst into flame,
lighting, perhaps, the cigarette of the woman you love,
for the first time, and it was never really the same
after that.
All this we will give you.”
That is what you gave me, I
become the cigarette and you the match, or I
the match and you the cigarette, blazing
with kisses that smoulder toward heaven.

何の変哲もない日常を切り取った詩である。

オハイオブルーチップスというマッチがお気に入りで、昔はダイアモンドブランドというマッチが好きだった。
その炎は君(妻)で自分はタバコ、あるいは逆。プロットで言うとそんな簡単なものだ。マッチがあって妻のことを考えただけ。ただ彼は、それを彼だけの言葉で豊かに表現している。

パターソンは詩という表現を通して、ルーティンで構成された自身の人生を豊かなものにしている。
外からどう見えるか、ではなく、自分がどう感じるかということを大事にしている。

そんな詩が10本弱、作中で表現される。
起伏のない日常と詩。それらをセットで、繰り返し、見て聞くことで「詩とは何か」ということを少し感じることができる。

詩とは、普段見過ごしがちな些細で、一方で大事なことを、言語化するプロセスを通じて感じることではないだろうか。

それを映画で表現するには、派手な表現はいらない。
赤と青のボディースーツを来た人が、手から糸を出している姿は日常ではない。そこに詩は必要ないのだ。「Fantastic!」という言葉で十分だ。
本作は何も起こらないからいいのだ。何も起こらないから詩とはどういうものかを知ることができるし、普遍的な日常の尊さを感じることができる。

新たな世界の入り口として

新たな世界の入り口としての映画。
もちろんTVドラマや本、舞台を通してだって、自分の知らない世界の入り口になり得る。

ただ映画は、
・2時間前後という制限された時間の中で表現されたものだからこそ、本質が凝縮されていること
・映像の範囲内であれば、表現の仕方が無限大なこと
の2点において、優れているように思う。


今日も、良い映画を観ました。

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