網戸

結局、僕はこのままここに残ることにした。雨が降ると暗くなるこの部屋に。

一人の時間と思考にはまってしまい、耳鳴りのトンネルの出口を夢見た。忘れたまんまのセリフや、濡れた地面にへばりついたガムや、雪に埋もれた限界集落なんかを、置いてはいけないのです。喪失をいくら集めても満たされないように、サヨナラだけが人生のように、どこかで観念したほうがよさそうだと、そう思ったのです。遠くに行きたかった。ザクッ、ザクと、足音は満点の星に吸い込まれた。両手はとうとうポケットから出ることはなかった。深い考えを持ってるかのように装う猫じゃらしのごとき自分が、とにかくダサくて嫌いだった。


ロックンロールといわれる音楽が好きです。昼間の流れ星のように、知られない奴らのことを思う。

ボロいスリーブの7寸5000枚を、新宿の50階建てビルの壁一面に貼ろう。ダサいブーツ、破れたフライヤー、アンプジャックから漏れでてる暗闇。ネズミにかじられた夢をずっと追いかけている。ロックバンドには、いつまでもライブをやっていてほしい。リリースをメインとした、流通網やネット環境ありきの活動に傾かないでほしいです、本音をいうと。堂々と真っ直ぐ前を向くわけでもなく、少しうつむき加減の内臓が薄く透けてる様が、2度と掴めない、持続不可能な青春を呈しているようで、儚げで好きです。ロックに心酔して周りが見えなくなってるような奴らに憧れます。カッコいい曲を書くためならドラッグでもなんでもすがる、そんな奴の気持ちがわからんでもありません。カッコいい曲の為なら、自分の人生や健康のことは二の次、って感じの奴らのことです。そのダサいブーツでリズムを刻み、砂漠が迎える朝に悶え、曇天割って、息苦しそうな蝶ネクタイを投げ捨てろ。ブリキの悲哀をそのお前の冷たさで凍らせるんだ。

例えば明日、隕石が落ちて世界が終わる、となったとします。そんな時、「だったらライブしよう。」と言ってくれるバンドがいるとしたら、僕は観に行きたいです。観にいくよね?どうせ死ぬんだったら、ライブハウスの客として、塵となって死にたいですよね。僕もそう思う。僕たちはどんどん機械化していくけど、体温だけは残るはずで、音のない夜に電気椅子1つ盗んで、ちゃんと人間なのか、ロックがまだ好きか、確かめる必要があります。血の通った人間のまま、ライブハウスで死ねるなら本望であり、電気椅子を生き延びるような機械化した心ならいらないのです。

ロックンロールといわれる音楽を、まだ血が通っているあいだにたくさん聴きたいです。それは世界の最後でも、人に優しいのです。それはカッコつけたダサいやつが演ってるやつです。

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