泣くという歴史、の予告
人というのは、生まれてすぐに産声をあげる。
顔を真っ赤にして、わんわんと泣く。
泣くという歴史はそこから始まるのである。
歴史、という呼び方をしたのには、
やはり理由がありまして、
私は泣くことに関して幾つかの変化を経ている。
泣いて始まるものだから、しばらくは泣くことに
何も感じていなかったのだけれど、
いつしか泣き顔が恥ずかしく思えて
見える場所では泣かないようになった。
部活動をしていても、
全部が終わった後で隠れてこっそり泣いていた。
こんなことで泣いてやるもんかと、
堪えた涙もあっただろうか。
いつしか私は、
泣かない子供になっていたように思う。
ところが、ある時を境に泣くことが
そこまで特別ではなくなってきた。
もちろん今でも人前では
なかなか泣けないのだけれど、
一人の時でも泣かなかったところから、
状況さえ合えばボロボロと
涙をこぼすようになってる。
じゃあ、どういった時に
涙することが多いのだろう。
そこを掘り下げてみたかったのだけれど、
諸事情により、今日は予告まで。
おやすみなさい。
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