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広島サミットを受けて:各国首脳たちが被爆地・ヒロシマを肌感覚をもって体感する意味

5/19から今日まで3日間、広島でサミットが開催された。
各国の首脳が、広島の平和祈念公園で献花し、原爆資料館を見学、被爆者の方との対話の機会を持った。

私は、この数日、広島サミットの一連の出来事について、ずっと心を揺さぶられてきていて、すぐ涙腺を刺激されそうになるので、何故かなと考えていた。
それを言語化してみたら思ったより長くなってしまったのでnoteにしてみた次第である。

このことに私の心が大きく揺さぶられるのは,やはり私自身が数年前の夏、広島に原爆が投下された季節に現地を訪れて、一連の施設や現在の街並みを肌で体感したことが本当に大きいと感じる。
原爆の被害について頭で理解していたことが、あの夏の広島訪問を経て擬似的ではあるが身体的な体験に変化したのだと思う。あの場所にはそういう効果がある。

その当時の体験の感想はこちらのnoteに書いた。

今回の広島サミットでは、岸田総理が各国の、中には核兵器を起爆するスイッチを握っている人たちをあの場に連れて行った。
擬似的に、ではあっても、原爆の被害の身体的感覚を突きつけられ苦痛を想像させられる場所だ。
私だって何年経っても思い出すだけで涙が出そうなくらいこの場所に行った時のことが深く心に刻まれている。その体験を各国のキーパーソンに植え付けた。

どんなに権力がある人だって、自分たちが握っている核のスイッチを押すことで何が起こるか、数字ではなく体感で知ってしまったら、絶対に躊躇するだろう。それだけで効果がある。

人間に備わっている能力の一つは人に共感する能力だ。
これは集団社会を構成することを生存戦略としてきたホモサピエンスとしての能力だが、脳が大きくなったことにより、自分が実際に怪我していなくても傷を負った人の痛みを想像できるようになった。

史上初めて原子爆弾が使用されてから80年近く。
これまでなかなか実現してこなかった、核兵器の実際の被害、痛み、苦しみ、絶望、そういうものを肌感覚として鮮明にインプットする機会を各国のトップに設けたのである。

首脳陣の資料館見学の様子は非公開だったが、資料館から出てきた彼らの足取りや顔付き、雰囲気から想像できる。

実際に原爆資料館に行ったことのある人はご存知だと思うが、あの時の感覚を思い出しながら描写してみる。行ったことのない人も少しでも想像してみてほしい。

原爆資料館では、広島の真上に落ちてきたたった一発の爆弾による凄惨な被害、痛み、苦しみ、絶望、そういうものを、数字だけではなく、あの日あの時も普通の夏の朝を過ごしていた広島市民一人ひとりにスポットを当てる形で展示している。

「たった一発の原爆で14万人が犠牲になった」

ーーそう教科書で教わって頭でわかっていたことの、その背景には14万人それぞれに名前があり、生活があり、大事な人がいて、今日も暮らしを営んでいた。
ある者はお弁当を持って出掛けていき、ある親子は庭先で三輪車で子どもを遊ばせており、ある者は建物の前に腰掛けていた。
そういう人たちが一気に、3000〜4000℃の熱風と約19tの圧力によって熱に焼かれ押しつぶされたのである。
そこで仮に命を失わなかったとしても、浴びてしまった放射能の恐怖は一生続く。
あの折り鶴を掲げた「原爆の子の像」は被爆後10年経って白血病を発症し、生きたいと願いながら病室で薬の包み紙を使って千羽鶴を折り続けた、実際の女の子の話である。
核兵器、あまりにも惨い。それ以外の言葉が出てこなくなる。

そんな原爆資料館から出てくると、青空の広がる平和祈念公園、綺麗に整備され花が咲き太陽が照りつける広島の街。
この街がそんな惨禍に見舞われたなんて嘘だと信じたい。

そうやって過去の現実から目を背けたくなる見学者たちの目の前に、
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という誓いが刻まれた平和の碑、
そしてその向こうに今も負の遺産として佇む原爆ドームが、

負の歴史から目を背けるな。
まさに、ここの真上に、たった一発の原子爆弾が落ちてきたことによって
一人ひとり名前があり生活を営んでいた14万人の生命を吹っ飛ばしたのだ!!

と現実を突きつけてくる。
あれは嘘でも作り話でもない、1945年の夏に、まさしくここで起きたことなのだ……
胸が押しつぶされそうになる、そういう場所。


今の時代いくらでも会議はオンラインでできるし、VRゴーグルで展示を見ることだってできる。
しかし今回、リアルで、広島で、各国のリーダーたちにこれを体感してもらったことが重大な意味を持つと思う。

核攻撃をちらつかせて脅すことは絶対に許さない、そう誓うことは刀を交えるよりも、圧倒的に険しい道かもしれない。
だけどもその険しい道を私たちは行かねばならない、と世界のリーダーたちがみんなで確認しあった、そういう場になったのだと思う。

もうすぐ原爆が落とされてから80年が経つ。ここまで険しくてもいつ道を踏み外すか、戦々恐々としながらも、なんとか人類が歩みを進めてきた道のりを無駄にしないために。
世界を次のフェーズに進めるために。
No more ヒロシマ・ナガサキを合言葉に世界が手を取り合い強調していけますように。

安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから

この誓いを改めて確認し、世界に発信できた意味はとても大きい。

世界は一人ひとりが集まってできている。
80億人の人々にはそれぞれ名前があり、生暮らしがあり、大事な人がいる。
そういうものが乗って回っている地球を、一人ひとりが大切にして、結果的に平和と自由が達成されるように。
またそれぞれできることからはじめていきましょう。

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この岸田総理の広島サミット閉幕の際の会見全文は後から見たのだけど、すごく私がこのnoteで書きたかったことと呼応してる感じの内容だったので参考に載せておきます。
まさに下記の「軸線」が実際に広島に訪れて原爆資料館から出てきた時の体感に強烈な効果をもたらしている、ということが言いたかった。
広島市もこのサミットに向けてこの「軸線」の意味を解説する動画もちゃんと公開してるのにあまりにも再生回数が少ないので載せます。

平和祈念公園を設計した丹下健三氏は、「平和を作り出す」との願いを込め、原爆ドームから伸びる1本の軸線上に、慰霊碑や平和記念資料館を配置しました。平和の願いを象徴するこの軸線は、まさに戦後の日本の歩みを貫く理念であり、国際社会が進むべき方向を示すものです。

G7広島サミット閉幕時の会見全文より

一連の広島で開催した理由と平和に向けた部分についても名文ですね。

夢想と理想は違います。理想には手が届くのです。

われわれの子どもたち孫たち、子孫たちが駆け引きのない地球に暮らす「理想」に向かって、ここ広島からきょうから、1人ひとりが、「ヒロシマの市民」として一歩一歩、現実的な歩みを進めていきましょう。

G7広島サミット閉会時の会見全文より


ぜひリンク先でじっくり読んでみてください。

P. S. ①
実際、これを実現するためには関係者の皆さんは相当シビアな調整を続けてこられたと思う。
このシビアな仕事をやり切るためには、ただの表面的な業務に留まらない熱意が結集されてきたのだろうと勝手に想像して、そういうところも涙が出そうになるもうひとつの理由かもしれない。
きっとこのサミットは歴史的なものになるでしょう。
偉大なお仕事を成し遂げた関係者の皆さんにも敬意を表します。
大仕事が終わったら少しゆっくりしてご自身のお仕事を労う時間がありますように。
美味しいもの食べてくださいね。

P. S. ②
このnoteを書き終わってからももんにゃりが残っていて、もう少し咀嚼して出てきたものとしては、
この広島サミットが偉業だったと言ってる人の中には「ヤルタ会談」みたいになったと言う人もいて、後から振り返れば歴史的にはそういうことになるかもしれないけど、妙にやったやったと楽観的に喜んでるみたいな空気も私が思ってるのと違うな、と感じてまして。

私はこのサミットの一番大きな意義は各国リーダーが被爆地で「慰霊」して、かつての惨状を目にして心を寄せてくれたことが重要だと思っている。
その理由はこのnoteに書き記してあるので読んでもらいたい。

もうひとつは、これも読書感想文ではあるのだけども、戦争は避けた方がいいとはわかっていても「もう戦争しかない」という状況は起こりうるので、この広島サミットでどこかの国を追い詰めたと喜んでしまうのは、これもまた歴史から学んでいないことになってしまうなと。

この本と同時期に読んだ半藤一利さんの『昭和史』には、真珠湾攻撃をした時の日本社会の雰囲気のことが描かれていた。
当時の日本の雰囲気は「真珠湾を攻撃してやったぞ!やった!やった!」とスカッとした気分になっていたそうなのだ。
歴史を知っている私たちは、それが日米回線の引き金となり、勝ち目のない泥沼の太平洋戦争に突き進んで、二発の原爆が落とされるまで戦争をやめられなかった日本のことを知っている。
あの戦争で日本人は300万人死んだ。同時に多くの他国の人を殺しもした。
でも、最初はスカッとした気分でいた日本人が多かったのだ。

今回の広島サミットはすごいことをやったと思う。これは素直に称えたい。
だけどまだ国際情勢的には緊張感も持っていないといけない。
追い込まれて全身の針を逆立てたハリネズミが玉砕覚悟で体当たりしてくる可能性だってあるのだ。
胸騒ぎも杞憂に終わってほしい。人を殺す、暴力を振りかざす戦争に勝者などない。

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