原爆開発: マンハッタン計画の本部へ潜入

マンハッタン計画の本部があった270ブロードウェイというビルにいったので、その報告です。

70年以上経ちますが、ビルは健在です。
原爆開発がどのようだったのか、時代を感じる材料になると思い訪問しました。

原爆被爆国の人間として、勉強しないといけませんよね。そして、原子力発電のきっかけもマンハッタン計画です。日本とはきっても切り離せない歴史に目を向けていきたいと思います。

潜入レポートも良けれ
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映画「ひろしま」の感想を。

録画しておいた映画「ひろしま」を見る。被曝から8年後に多くの広島市民も参加してつくられた作品。
原爆投下後の絶望的な惨状をただただ見る。川まで逃れてきた先生と生徒が君が代を歌いながら、そのまま力尽きて流されていく。倒壊した建物の下敷きになった子どもたちがそれぞれの思いを口にする。奥さんを助けられなかった遠藤さん。ずっと探してた子どもを見つけたときにはもう亡くなっていて。疎開していた子どもたち(兄妹

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マンハッタン計画の本部ビルに潜入

「マンハッタン計画」は、第二次大戦中にアメリカでおこなわれた開発のプロジェクト名です。アメリカ中だけでなく、カナダやイギリスの物理学者、化学者が勢ぞろいして、行われました。当時の天才達が揃ったアベンジャーズのような組織です。しかし、つくっていたものは、そう原子爆弾です。

ところで、なぜ「マンハッタン計画」というプロジェクト名だったかというと、本部がニューヨークのマンハッタン島にあったからです。

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広島に越してきたばかりの私は呉市の広町を知らなかった

七月の下旬、陽を遮る雲のない快晴な日、私は隠岐の島にある母の実家へ帰省した。そこは電車と船とバスを乗り継いで、移動に半日が潰れるような辺境の土地だ。
 数年ぶりに会う祖母は笑顔で私を向かい入れた。噂好きで世話好きな彼女は、私が帰らない数年の間に、何人の親戚がなくなったかを話した。そして「挨拶してきなさい」と言って、すぐに私をお墓へ向かわせた。
川岸での野焼き、サンダルで踏む畦道、蝉の声を貫く狩猟の

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終戦記念日のコラムを読む2019(2)愛媛新聞「地軸」~言葉の底を読み解く

▼読み解く、という言葉の意味を考えさせてくれるコラム。2019年8月15日付の愛媛新聞「地軸」から。

▼冒頭は〈わが子を胸の下にかばい守ろうとした母親の姿は、皆の脳裏に焼き付いていた。広島市の原爆資料館には黒く焦げた親子の遺体の絵が何枚もある。〉

このコラムでは、広島市立大広島平和研究所教授の直野章子氏の知見が紹介されている。直野氏は「『原爆の絵』と出会う」(岩波ブックレット)の著者。

〈被

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「広島の風」 #17

<通暁>
 千鳥ヶ淵に清廉と立ち並ぶ三分咲きの枝垂れ桜が、まるですぐそこの春を待ち遠しくするかのように、濠からの風にその花実を揺らめかせている。河口豪が運転する鈍色のダットサンの助手席からそれを仰ぐ伊藤信之は、早春の風を全身に受けながら、いまだ郷里に咲かぬ春の報らせに胸を焦がす。この向かいに凛と佇む英国大使館に、かつて駐日公使として駐在したアーネスト・サトウが明治初頭、ここに桜の苗を植樹したことが

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「核の傘」の下で…被爆国ニッポンの実像 被爆を経験したサーロー節子さんにききました

「13,865」
これは世界にある核兵器の数です。
冷戦期に比べれば大幅に減っているとはいえ、
アメリカもロシアも「6,000」以上です。
核廃絶への道は遅々として進んでいません。
日本についてはアメリカに「核の傘」を
差し掛けてもらっているだけ、
そんな風に思っている方も
いらっしゃるかもしれません。
でも、この「傘」を日本も一緒に
支えているとしたらどうでしょうか
“唯一の被爆国”、その本当の

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74年前の8月を、矛盾なく振り返るのなら

8月、日本が敗戦を迎えて74年が経った。15日、様々な報道に触れながらふと、内戦が続きシリアで出会った女性が、かつて語っていた言葉を思い出した。「戦争に勝者はいません。どちらも、敗者です」。

74年前の日本や戦争に関わった国々、それぞれの権力者たちが政治的解決を見いだせず、武力へと走った時点で、それは何にも打ち勝ったことにならないのだろう。

シリアから難民となった方々と話していると、「広島」「

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小倉。

特にこの時期になると想うのが、当初長崎ではなく小倉へ原爆が投下される予定だったという事。
その日、徴兵され高射砲部隊に配属されていた祖父は小倉で出動中で、曽祖父は八幡製鐵所に勤務していた。
大人になってみると、生前もっと沢山話を訊いておけば良かったと後悔頻り。
自分の命運と直接繋がる74年前の事がとても気になった。

祖父によると、前日の8月8日、米軍が変てこな日本語で書いたビラを上空から小倉に撒

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