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知ることと理解すること

子供の頃にご飯を残していた時

『世界にはご飯すら満足に食べられない人がいるんだよ』


と言われたことがある人は多いと思う。この言葉を聞いて、おそらく、殆どの人が、アフリカの貧困層を思い浮かべるだろう。テレビから流れる映像や、毎年行う募金活動等で貧困については知っている。


いま、まさにその現場となるウガンダで生活をし、国連職員として貧困層に触れることで『知っている』と『理解している』の大きな違いを感じている。

アフリカ=貧しい、危険、不衛生、といった、偏った見方で『知っている』とするのではなく、アフリカの現状に目を向けちんと把握したうえで、

『理解している』

に繋げることが大事であるとおもう。


街で見かける、Give me money!とお金をせびる人。非力な体で大量の頭に食べ物を乗せ、売り歩く子供たち。ぼろ絹、裸足、おそらく学校は行ってないだろう。これを買って私たちの生活を助けて!と近所のお店のおばちゃん。普段は、笑顔で過ごしていても、こんな場面に遭遇度に心締め付けられる思いだ。しかし、なぜだろうと考える人は少ない。

『知ること』と『理解すること』

の違いは、人に伝わるように説明できるかだと思う。

なぜ、貧困から抜け出せないのか原因を挙げるときりがないのだが、いくつか例を挙げる。日本から送られた募金などは、様々なところで賄賂となり、4割程度しか届かないと言われている。加えて、先進国から直接現地に技術指導に行った場合も、無駄に終わることが少なくない。例えば、水道もなく泥水をすすっている村に援助隊が井戸を掘っても、1年もしないうちに誰かが井戸の部品を売り払ってしまう。仕事の時間に人が集まらず、生産性が向上しない。こんなことが日常茶飯事に起こっている。まともな教育を受けていない貧困層の人達は、計画的に生活をすることの重要性が理解できておらず、目先の利益よりも持続可能な行動が重要であることを教える必要がある。島の釣り好きに例えるなら、美味しい魚を定期的に食べたいなら魚を釣ってあげるだけではなく、持続可能なように魚の釣り方を教え釣りの楽しさに気付かせるべきではないだろうか。

これはほんの一例だが、『知る』は一面的にしか捉えられておらず、多面的に捉え『理解する』ことにつなげる為には、耳を澄ませ、肌で感じ、現地のものを食べ、テレビでは見えないものを観たりしながら考えることが、より深く、理解することにつながるのではないか。そのことによりこれから日本として、貧困にどう向き合うかも変わってくるだろう。そして僕は将来子供に言いたい。『昔は、世界にこのご飯でさえ食べれなかった人も居たんだよ』と。
 

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