見出し画像

喜界島から世界へNo1


ここからは私が二十歳の時から続けている南海日新聞での連載を投稿していきます。

__________________________________________

僕の夢は喜界島と世界を繋ぐことだ。成人を機にこの思いが一層強まってきた。

高校を卒業するまでの18年間育った喜界島。

海風になびくサトウキビの音。冬の島全体から漂う黒砂糖の香り。聴くと、不思議と元気が溢れ出る、うじー、おばーの方言。今でもふとした瞬間に思い出す。大好きな喜界島。



しかし、そんな僕にもある大きな不満があった。それは、離島だからという理由から、新しいことに触れる機会に恵まれないことだ。新しく、スポーツを始めようにも指導者不足や、道具不足等の理由から断念せざる得ない状況下にある。


また、幼少期から同じメンバーと過ごすことから、新しい知識や、考え方に触れる機会が乏しいと思った。そこで、将来は、僕が、島の人と外の世界を繋げたい、もっと、様々な可能性を見出したいと思い、親の反対を押し切り上京してきた。


この一年と半年で、様々な新しいことや考えに触れ、この九月からは運良くも国連ユースボランティアプログラムで現在ウガンダの国連事務所でインターン中である。国連と聞くと凄い!英語ペラペラ何でしょ?などと思うかもしれないが、まったくそんなことはない。高校を卒業するまで、海外経験はおろか、外国人と話したのは島に1人在住しているALTの先生と修学旅行で京都へ行った時に話しただけである。そんな状況の中でウガンダの生活をする決断は容易なことではなかった。初めての海外生活がアフリカの地、知り合いはおろか日本人すら職場にいない。期待より不安が大きかった。実際に、なんでこんな大変な思いをしてまで、ウガンダに来ているのか、日本に居て、島で暮らしたら楽なのに。と思うことが多々ある。しかし、大変な時こそ、大きく変わるチャンスではないだろうか。

『決断』とは「決めて」「断つこと」。何かを決めるときには、ひとつ何かを断ち切る。日本で手に入る好きな食べ物、友達との時間、娯楽施設などを敢えて断ち、アフリカでの生活を選んだからこそ、見えてきたものがある。正直、派遣されている半年間では、国連職員としていくら働いてもウガンダ人を、ウガンダをという国を変えることはできない。しかし、僕が、この状況を伝えることで、新しい価値観や、考えを産み、微力ながら周りの人を変えることはできる。そして、彼らが世界へ飛び出したいと思うかもしれない。この経験を読者の皆様を始め一人でも多くの方に届けることが、僕の責務であり、島と世界を繋げる記念すべき第一歩となるであろう。 (2016年南海日日新聞より)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?