吉本氏の「地元学をはじめよう」を読んでみて~

  • まえがき

  • 第1章:地元学って何だろうから

  • 第2章:地元学の進め方から

  • 第3章:地元学ことはじめから

  • 第4章:広がる地元学から

  • 第5章:地元学で育つ若者たち

  • まとめ

まえがき

1.なぜ2008年に書かれた、この本を読むこととしたのか?
・それは、ずばりですが、今年の6月に発売された楠氏の「転身力」といいう本の中に、この吉本氏の本が紹介されていたからです。
・ただ、普通はそこで読むように筆者から勧められても読むとは限りませんが、私がこの本を読もうと思ったのには大きく3つの理由があります。
①まず、楠本氏の「転身力」が丁度、50代前後からのサラリーマンをターゲットにして書かれた本であり、その内容がちょっと前のそのタイミングの自分自身。また、よく意見交換をしている自治体の公務員等のその年代の人に薦められる内容だったこと
②次に、私が今までライフワーク的に農業を通じての地方活性化や地方創生に関わってきて、そのことで実際には千差万別の現場でバリューが出せないことへの答えが載っているかもしれないと考えたこと
③最後に、私は福岡県出身で生まれてから高校卒業するまで福岡県に住んでいて、その公務員となっても転勤で熊本県にも長く住んでいたことから、その親近感と、産業公害である「水俣病」のことも、子供の時から学んでいたこと
・以上、その他の感情もいくらかはありましたが、大きくはこの3点で実際に買って読むこととしました。
2.その他の感情とは具体的に何か?
・「水俣病」について詳しく知ってるのは、その時代に九州に住んでいた人か、それこそ、その関係者だけかもしれませんが、私は丁度、その頃に熊本県との県境に位置する、福岡県の南部の市町村に生まれ育ちましたので、学校の教育でもかなりの時間、この日本で有数の産業公害となった「水俣病」については、その写真や映像も通じて、強烈に脳裏に焼き付いています。
・ですから、ジョニーデップ主演の「MINAMATA」という映画を見た時に、これは日本人なら必ず見るべき映画だと感じたと同時に、ハリウッドではなく、本当は日本人が作るべき映画だと感じました。
・その水俣市役所で地元に住む公務員として、吉本氏が「水俣病」の大いなる後遺症にもまれながらこのような地域活性化をどのようにやったのか?について、正直、最近の公務員アワード受賞的な自己宣伝ではないことを期待しつつ読みました。

第1章:地元学って何だろうから

1.実践を通じて進化してきた
・大学院ではよく「知行合一」と叫んできましたが、まさに事件は現場で起きているのであり会議室で起きてるのではないですから、実践がなければ、水俣病と同じで、ただの傍観者にすぎず、中には地元であるがゆえに偏見で見ることになります。
・そこで言われてるのが「下手でもいいから自分たちで調べよう、自分たちでやる力を身に付けるように志したのです。」とあります。また、地域を知ること、己を知ることの大切さをに気付いたともあります。
・その行動をする中で、反省を反映すると共に、多くの外の人と出会ったことが大きかったとありました。
・その、視点が違った「よそ者」との交流によって、これまでの村人に意識の変化が生まれ過疎の村が化粧をするようになり、いつの間にか草払いがされ、放置されたタイヤなどがなくなっていったことが起きたと考えられます。

第2章:地元学の進め方から

1.調べる心がけとまなざし
・調べるときの七つの心がけとありますが、私はそのなかでも、「実際にやっていることや使っているものについて聞く」とあり、意見ではなくやっていることを聞くととありますので、よく地方の田舎であるような、人の自慢話や過去にやったことを聞くのではなく、今実際にやってることをロジカルに聴く必要があると感じました。
2.作る・役立てる
・調査は創造の始まりであることから、ものづくり、地域づくり、生活作り基盤となっていくものである。
・調査をきっかけに、当事者として自分が自分お琴は自分で、地元のことは地元でやっていくために地域の課題を直視し、外的・内的変化を適正に受け入れ馴染ませていくために、その力量を身に付けること。
・自ら調べて気付いていくことが人と自然と経済が元気な町や村にしていくことを促すとあります。

第3章:地元学ことはじめから

1.世界に類例のない産業公害の発生
・水俣病は、熊本県水俣市を中心に発生した、世界に類例のない大規模な産業公害病で、当初は原因不明の「うつる病気」だと報道され、村の内部でもひどい偏見や差別にさらされ、患者は病気と闘うだけでなく、いわれのない中傷や偏見にも立ち向かわなければならなかったとあります。
・1959年に「水俣病」の原因がチッソの含まれるある種の有機水銀によるものだと熊本大学研究班が発表しても、国やチッソはなかなか認めようとしなかった。
・やっと9年後にの1968年に厚生省が「チッソの排水が原因」と断定するまで、国は漁獲禁止措置を取らず、その間に排水口を水俣湾から水俣川河口に変更したこともあって、不知火海沿岸まで被害が拡大し、類例のない大きな公害事件となった。
・結局、後に「水俣病」と認定された患者は2,264人、そのうち亡くなった患者は1,408人(2000年時点)、また1995年の政府の最終解決策の救済者は10,353人に及びました。(実際には他の公害病と同じで、これ以外にも認められなくて病気に苦しんだ人が大勢たと思います・・・)
2.地域社会の対立
・当時、水俣市で働く半数もの人々が、何らかの形でチッソに関連した仕事をしていたことから、原因が自分たちの生活を支えるチッソの廃水だと分かるにつれ、職場がなくなるのではないか、店がつぶれるのではないかという複雑な心情と葛藤が生まれ、地域社会は分断され、鋭く対立していった。
・また、どうすればいいのかという合意も形成されず、市民の感情は翻弄され、40年以上もの長い年月が経過していった。市民は自分たちの暮らしを守ろうと、様々な利害により対立し、人と人との信頼や絆はズタズタに分断されたとあります。
・ここを読んでいて、まさに「MINAMATA」の映画そのものの情景が脳裏に浮かび、私が1961年生まれですので、本当に当時、それが身近な場所で起こっていたと思うと、本当にこんな水俣で、全国的にも取り上げられるような地方活性化や地方創生のような取り組みができたのか?と、正直、驚きました。

第4章:広がる地元学から

1.川南町の地元学
・この章では、この水俣市の地元学の取り組みを取り入れた、①宮崎県川南町、②ベトナム・ナムソン村、③兵庫県の小河・釜出集落、④三重県大紀町の野原地区、⑤三重県大台町の浦谷での取り組みが書かれていますが、正直、②ベトナム・ナムソン村での取り組みはNPO日本国際ボランティアセンター(JVC)の取組でやってるODA予算での国際協力のスキームだと感じましたが、どんなに現地の住民が好意的に地元学を受け入れても、結局、JVCのような機関が短期間での目に見える成果を求められるので、長く続けられないジレンマに対峙してして上手く行かなかったと感じました。
・このことを、著者の吉本氏は、海外の村々の生活文化に尊敬の念を抱かない支援は文化破壊であり、日本の取組の押し付けになる。そうではなく、地元に寄り添いながら、一緒にやっていき、地元の人たちが自分たちでやる力を身に付けない限り、村の人たちが元気になることは困難だと言われてます。
・この章の全ての事例を取り上げるとここだけ長文となりそうなので、私九州の地元である①宮崎県川南町の今も地元学の取り組みが続いている事例を取り上げたいと思います。
2.もがき苦しむ中から出てきた「川南の四季を食べる会」
・先に結論から入りますが、この取り組みの到達した皆での結論は、自然を大切にしよう、本物の川南町を作ろうということになり、誰がそれをするのかは、勿論、自然を相手として生活している農家と漁師だということになった。
・こうして、農家と漁師に共通する「食」を核に、川南のイメージ作りが始まったものの、その提案を伝える場がなかったので、黒木本店の黒木代表取締役や地元のラクビー仲間の前へ前への精神で、それを作るために「川南の四季を食べる会」を立ち上げたとあります。
・このことで新たな動きが出て、農家と漁師の交流が始まり、これからの展開として「鍋合戦」も始まり、当初は川南町と高鍋町だけだったが、2008年秋には、都濃町、新富町、大城町も加わって、その地元学の取り組みは着実に広がっているとあります。
3.浦谷の地元学
・最後の三重県大台町の浦谷での取り組みでの、地元へのその効果について書いてありますが、取り組みのお陰で人が移り住み、村が元気になったとあり、今まで高齢化・過疎化で集落の元気というか活気も失われていたが、村の人たちが元気になり、二年前はとつとつとしか話さないおばさんが走り出して来て、地味だった服は明るい色になり、語り口は早口になり、冗談も言うほど元気になっていたとあることが、本当にこの地元学の成果なんだと読んでいて感じました。

第5章:地元学で育つ若者たち

1.里見さんはバイクでやってきた
・土地に学び、人に学ぶ地元学が誕生した水俣で、地域の未来を担う若者たちが育ち、またやってきてるとあり、卒論を書くために全国を50㏄バイクで回っていた彼女が、沖縄の帰りに水俣に寄って、そこで地元に男性と結婚し、彼女の卒業論文は「地について生きる、水俣での学び」で、これから共に生きていく人生の差書の1ページを、この一冊に込めることができました。水俣の「風流」を十分い満喫する暮らしを作っていきますとある。
・自分たちの生きる基盤を他人任せにすることは、自身の「生きる力」を失っていくことであり、そのことによって、安全や安心、ひいては自らの生きがいなどが何なのかもわからなくなり、精神や身体の健康にも様々な影響が及んでくるとあります。
2.水俣で元気になる
・若者たちは、水俣に来て水俣病患者の話を聞いたり、見て回ったり、地元学を実践したりして、自分に自信がつき、元気になっていく。地元学は地域の持っている力、人の持っている力を引き出していく。否定から入らないので、自分い自信が付いていくとある。
・また、荒れた学校を立て直したのは、普通の人の講演会をやったからで、失敗した時にどう思うかを話してもらったから。成功した人の話は「私にはできない」という想いを増幅することになって、逆効果だったとある。失敗した話を聞いたら、失敗してもいいんだ、やり直しができるんだという気持ちが起きてきたとある。これが地元学でのポジショニングとある。
3.作る暮らしへの回帰
・地元学は、あるものを探す。ないものねだりではなく、あるもの探し。
①あるものは目に見えるので、写真を撮り、それは何かと地元の人に聞いていく。
②そして、驚いたこと気付いたこと別に絵地図を作る。
③作った絵地図を見てこれはどういうことなのかをさらに書いていく。

この取り組みから、それまで見えなかったことが見えてくるとある。そして結局は、自分が見えてくる!

まとめ

■以上、この本の中で私が取り上げたところを一つひとつ、MBAとして学んだ経営学で置き換えると、
①知行合一
②敵を知り己を知れば百戦危うからず
③ポジティブシンキング(have fun)
④ケイパビリティ
⑤そして、上下のないティール組織(心理的安全性の確保)
の5つのキーワードを思い浮かべました。
■それ以外にも、現代の経営学に通じてシナジーする部分が、この地元学の取組には多くありますので、もし地域活性化や地方創生という表座敷の言葉だけで、東京などの都市圏から地方の田舎のコンサルティングに入ってる多くの人は、今一度、地域おこしは地域の住んでる人が主役であるということを絶対に忘れずに、くれぐれも自分がこの地域を、田舎を活性化させたという、上から目線で人に自慢話をしないようにお願い致します。

ー以上ー


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