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祭りにはひとが集まる

2023年4月9日。下北沢ボーナストラックに赴く。
直通の歩道があったよな~と駅を降りて、TSUTAYAのある通りをまっすぐいったが違ったことにまあまあ行ってから気づいた。数か月前も同じ間違いをしたことを思い出した。結局王将とかある界隈を経由してぐるっと到着した。

この日は「日記祭」なる催しがあってそこに、最近著作を読みふけている、古賀及子さんとphaさんがトークすると聞いていった。


12時すぎに着いてぬるっと入って、ぬるっとはじまった。
「どうしてオンライン上で日記を書くのか」というタイトルでいろんな話題があがっていた。
・2000年代のインターネット初期は自己表現として、ホームページやブログで日記するしかなかった。
・Twitterで日記文化は影をひそめてしまったが、近年noteなどで自由に文章を発信できる場が醸していって日記もまた盛り上がっている気がしている。
・見返さないが、とっておきたい気持ちがある
・日記とバズの親和性があまりにも低すぎる。
・AIは暮らせない
・陰と陽あらゆるものを日記は受け止めるので面白い。
・神に奉納するように書いている。おてんとさまに元気に過ごしてますよ〜と。この日記祭もそういう文脈があるのではないか。


【背景が黒塗りになり、過去編がはじまる】
わたし(30代・会社員)は、小学生のころからネットはあったものの、みまもり設定的なものがあり、それをかいくぐっておもしろフラッシュを見るしかなかったので、めっぽう受け手であった。中学生になるとガラケーでメールできるぐらいにネットは普及し伝達手段にもなっていたので、発信はリアルの関係ありきがほとんどだった。地方に住んでたので閉鎖性というのもあいまっていた気もする。いや片隅にネット交流の思い出あった。ニコ生視聴期とtwitter初期が重なっていて、ふろてら~や、ぱたりなどのゆるいコミュニケーションを交わしていた。
発信としてはネットは機能しなかったものの、社会人になってしばらくして、ほぼ日手帳(紙)で日記をつけることをはじめた。たしか日常があまりに早すぎて忘れてしまうからだったと思う。はじめは空白も多いし、今も一行で終わることもあるが、習慣、もはや惰性で書いている。
そして近年あまりにネットからもろもろ受け取りすぎていると思っていたところ、オードリータンさんの著作で「ネットでもらった分、発信するして還元している」的なことを見て、noteやbandcampの投稿をはじめた。
【黒塗りが終わる】


noteをはじめて、色んな人の投稿をみていると、本当に日常はひとそれぞれだし、日記のフォームも様々で面白いと感じている。そして、インターネットがこうしたリアルな祭りとしてつながっていく楽しみも今回味わった。

そして友人にばったり会った。祭りで知人に会うという感覚が、幼少期以来だったのでひとしお勝手に盛り上がった。しかも、その友人は出店もしていてびっくりした。日記とリアルが別の軸でもつながった。

リアルにほんのりネットが介在し、お祭りなのに生活感もあって、居心地がよかった。人混みは苦手だが小規模なまつりはたのしい。


帰りは直通の通路をたどってやっと最短ルートわかった。エキウエの通りだった。
せっかくなのでそこにあったタイ料理屋さんで遅めの昼をとった。おいしいけど想像のはるかにめちゃ辛くて、その後の食欲がなくなった。阿部洋一の短編漫画で河童がご馳走で腹を壊すというシーンを思い出す。異国の調味料には抑止力がある。夜以降も腹がすかなかったので、夕飯はシンプルに味噌汁ごはんを食した。ボーナストラックにある発酵デパートで買った味噌のやさしさに包まれた。

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