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チータンタンを煮だすひとびと

夜行バス引退は30歳に大きめの転換点があると思う。オールはもうしんどいし、社会人のそこそこの財力があると新幹線や飛行機で解決することもできてしまう。トップアスリートの引退もその年齢に多いから、夜行バスもまたひとつの競技なのかもしれない。選手生命をかけておれは予約をいれる。

土曜の夜、パートナーと東京のバスターミナルにいた。乗り込んだバスの電光板には盛岡と表示されている。
東北には生まれてからほぼ縁がない。鹿児島で生まれ育ち、広島で大学時代を過ごし、東京で就職してはたらいている。仕事で一度青森に行ったきりだ。朝になったらほんとうに北の地におれが存在しているのだろうか。乗り込んでもなお、信じられないままバスは出発する。

移動は8時間ぐらいかかる。昨年、東京ー京都を同じ時間乗ってはいたものの、今回は下北沢にライブを見に行ってからそのまま乗り込んだ。疲労をもちこみ、するると眠りにつく打算をしていたが、それ以上に高揚が上回ってしまう。すごくいいバンドだったんだ。
いまだに高速バスのベストな乗り方はわかっていない。様々なフォームの寝方を試してみたり、たまに地図アプリで現在地を見てみたり、音楽やラジオでやり過ごす。いいアイデアを事前に準備していても変な疲労感と眠気のなかでは忘れてしまっている。

今回はネット音声サービスを多用した。序盤はradikoでききそびれていた番組を選んでいたが、視聴エリア外れると聞けなくなってしまった。Spotifyに切り替え、寝れないときのかかりつけpodcast『川島明のねごと』にお世話になる。特に男性ブランコのゲスト回への信頼は厚いのだが、今回ばかりはあまり効かず、いろんな回をめぐりめぐる。睡眠にはつながらなかったものの、時間は浪費していった。
この技が繰り出せたのは、ネットコンテンツがかつてより充実したこともあるが、それ以上に、そこそこの山中でも電波が通じるようになった功名のように思える。しかしここまできてもインターネットから逃れられないのかとも思ってしまう。

カーテンが閉まっていて気づかなかったが、4時過ぎの休憩で外に出ると、もう明るくなっていた。北の一日は早い。バスに戻ると、引退をくぐりぬけた猛者たちは唸りをあげ熟睡し、気にもしていなかった。その貫禄に敬して、また座席に戻る。


ようやく寝れるポジションをつかみかけていたころで盛岡に着いた。
もうろうとしていて、駅の看板をみても、(ああそうですか)と受けながしていた。おなか具合も謎めいていたので、コンビニでおにぎりひとつ買って頬張る。
バスに乗って、SPA銭湯ゆっこ盛岡に向かう。硬くなった腰をジェットバスで砕き、あたたかい湯でほぐしていく。からだの疲れはとれていった気はするが、脳がおいてけぼりになっている。風除室に置かれた椅子が、いちばん心地よくて、しばらく寝てしまった。浴室を出てから、雑魚寝スペースで追い寝もする。平たいところに重力をあずけられることに感謝する。昼飯どきになって施設内の食堂にむかう。盛岡冷麺のやさしさにつつまれ、餃子の肉汁たちがおはよござんす!と脳内をかけめぐる。漫画ONE PIECEの一話のタイトル『ROMANCE DAWN -冒険の夜明け- 』を思い出す。完全にリセットされたときに、よく浮かぶことばだ。ようやく一日がはじまった。

そしてまたバスに乗って、市役所の近くで降り、川を乗り越え、のどかな街並みにとけこむBOOKNERDに着いた。今回の弾丸旅の目的地である。
2年ほど前にくどうれいんさんの『わたしを空腹にしないほうがいい』を読んで、お店の存在を知り、店主の早坂大輔さんの著作『ぼくにはこれしかなかった』で感銘を受け、度々オンラインで本を取り寄せしていた。いつかは行きたいと恋焦がれてこげこげになっていた。そこで今日、れいんさんが新作『桃を煮るひと』をひっさげてサイン会を開くとのことで、なにかを感じていくことにしたのだ。

お店の前にテーブルを置いて、外にれいんさんがいた。
今年の2月に銀座名匠市というイベントのサイン会ではじめて会って、ここであったが二度目だった。れいんさんは覚えてくれていた。とてもうれしい。
最初のときは一瞬の出来事であった。長い行列を待っているとバッターボックスに立っているようで、毎度緊張しては凡打を繰り返している。
しかし今回はひらけた空間で、ゆったりおはなしできてよかった。近場にいくのが手っ取り早くはあるが、相手のホームにえいやー!と飛び込むのもまたいいなと思った。

BOOKNERDでも気になる本があってたくさん悩んで、『桃を煮るひと』ともう1冊買った。
・『優雅な生活が最高の復讐である』カルヴィン・トムキンズ著、青山南訳
これは早坂さんの著作でも紹介されていた本で、当時図書館で借りて読んでみたがまったく読み進められなかった。しかし今回BOOKNERDで手に取ってみると、これは今読んだらおもしろそうだと直感した。2022年にポケット版として装いあらたになった佇まいにもひかれた。本との出会いには旬やタイミングがあり、それらが複雑に絡まっている。

街にはのどかな時間が流れ、ゆだねるように歩く。ねこが闊歩しているシーンに二度も遭遇した。珈琲やさんのクラムボンは残念ながら日曜定休だったが、お店の外観からすでに名店の予感がした。市役所のほうに戻り、櫻山神社で神さまにあいさつする。そして近くのティーハウスリーベに寄る。れいんさんが記事でよく話をしているところだ。桃を煮るひとにちなんで、ピーチフロートを頼むと、占い師が使う水晶みたいにまるくて大きな器いっぱいのピンクがやってきてくる。こころも満たされる。

夜も盛岡名物を食べて帰ろうと思っていたが、ここまでで体力も尽き果てて、リーベでおなかいっぱいになってしまったので、断念する。無念だ、でもこのまま帰れるかと、駅前にあるじゃじゃ麺やさんの白龍(ぱいろん)で、お持ち帰りのじゃじゃ麺を買うことにした。そして本やさんのさわや書店で岩手の文芸誌『北の文学』を探す。早坂さんとれいんさんの対談が載っているのだが、東京には売っていなかった。店内でも見つからず、店員さんに尋ねると「最後の一冊でした」と嬉しそうに渡してくれた。盛岡の街で本屋を営むことについて響くものがあったり、れいんさんが聞き手にまわっていたのが新鮮だった。

ひんしでやれる範囲でやりたいこと済ませて改札をくぐる。盛岡は地元に近いものがあるよねとパートナーと話しながら待つ。帰りは新幹線はビューーーーンと帰る。速すぎて、今回の思い出がふっとんでしまったようで、東京に戻ると(ほんとうにおれたちは盛岡にいって、BOOKNERDで早坂さんとれいんさんに会っていたのか?)と現実味が薄まっていた。今度は泊まりでたのしみたい。


翌日、パートナーとじゃじゃ麺を作って食べる。具材も一式そろってはいたが、作り方がわからなかったので、インターネットを見ながら進める。海外のひとがラーメンを作るくらい不安で、おそれおおかった。
じゃじゃ麺は味噌を絡ませた麺をベースに、にんにく、酢、ラー油、しょうがで自分好みにカスタムして食べる。最初のベースの状態でも十分おいしいかったが、酢を入れたところから麺類としてのなめらかさとまろやかさを手に入れて、水を得た魚のようにすすった。
〆のチータンタンという文化もあるらしく、再現してみる。少し具材と麺を残して、卵(チータン=鶏蛋)と麺を茹でた湯(タン=湯)で割ってさらに楽しむというもののようだ。
【卵を皿の上に割り箸を載せ店員さんへ『チータンタンください』とお願いします。】という記述がやたらとあったので、家で「チータンタンください」と宣誓し、セルフで湯を注いだ。チータンタンにしてからも調味料でカスタムができるので探究しがいのある料理だ。見事にしまってしまった。


じゃじゃ麺を家で作って食べることで旅が終わった気がした。やっぱりおれたちは盛岡にいたんだ。ふだんのくらしへもどっていったが、じゃじゃ麺の茹で汁はすてずチータンタンとして注ぐことを覚えて、ほこらしくなった。


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