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爆睡するマレー獏はどんな夢をみるのか 東京都美術館「動物園にて」

午前のうちに用事をひとつ済ませ、その足で上野をめざした。

着くころにはお腹もすいてきたので、深く考えないままひとりでも入りやすそうなスンドゥブの店に入る。

辛さを五段階の中から好みで選ぶという、メプチリ(辛い食べものが苦手なヘタレの意)にもやさしいシステム。

慎重を期して「2」を選んだにもかかわらず顔から汗が噴き出て弱った。

何を隠そう、チゲやスンドゥブなら家でもよく作る。

と言っても、ふだんはコチュジャンだけで粉唐辛子もニンニクも使わないと超“メプチリ”仕様。

韓国人が聞いたら怒り出しそうだが、要は外で気軽に食べられないから自分で作って満足しているのだった。世間(=外食の韓国料理)の荒波はやはり険しい(でも、うまかった)。

自宅でつくるあんまり辛くないチゲ

それにしても、11月最後の日の上野公園は抜けるような青空だ。ほとんど風もなく穏やか。いい天気の「いい」とは、きっとこういう「平和な」という意味なのだろう。

突き当たりが国立博物館

途中、清水観音堂の横を通る。

上野の清水観音と聞いて思い出すのは落語の「崇徳院」である。

大店の若旦那とお嬢様とがたまたま出会い、たがいに恋に落ちるのがこの場所だった。

この「崇徳院」という落語、ぼくは三代目三木助のさっぱりとした江戸ことばで親しんでいるのだが、もともとは上方由来の噺でそちらでは高津宮で出会ったことになっている。

公園を横切って、めざすは東京都美術館。

東京都美術館があるのは上野動物園のとなり。だから、近所の郵便ポストもパンダ仕様なのだ。

しかし、ただ白いというだけでなんとなく投函するのがためらわれるのはなぜだろう。

たしかに郵便ポストであると頭では理解しているのだが、なんとなく偽物っぽく感じてしまう。ちゃんと配達されるのだろうか? やはり郵便ポストは赤、林家ペーはピンクであってほしいのだ。全身水色の衣裳に身をつつんだ林家ペーを見たら、きっと心がザワザワするにちがいない。


東京都美術館では、「動物園にて 東京都コレクションを中心に」と題された小展示をみる。動物園の正門を通り越し、美術館で「動物園」をテーマにした展示をみるというのもなんだかおかしな話だが。

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ぼくにとって「動物園」は、この前行ったのがいつだったか思い出すことさえできないほどの、もはや“遠い”場所だ。

とはいえ、イメージとしての「動物園」という存在にはいまもなお心惹かれるものがある。その証拠に、というのもおかしいが、物語のなかに動物園が登場するジョン・アーヴィングの『熊を放つ』も三遊亭白鳥の新作落語「任侠流山動物園」も好きだし、もうずいぶん以前の話になるが『動物会社ハーゲンベック』という本をとても楽しんで読んだことをいま思い出した。

これは、まだ自動車もない時代にサーカスや動物園からの依頼を受けて北はシベリアから南はアフリカまで奔走したある動物商の回想録。これがヘタな冒険小説なんかよりずっと面白い。連れてきたゾウの食費があまりにもかさむため、いっそゾウに自分の食い扶持を稼がそうと芸を仕込み、ついにはサーカス団まで結成してしまうエピソードには笑った。

今回の展示は、日本最初の動物園である上野動物園が誕生した明治15(1882)年を起点に、《動物をみる》という行為が時代とともにどのように変化し、また絵画や写真といった芸術作品に結実したのか、その変遷をさまざまな美術作品や錦絵、ポスターといった印刷物をとおして俯瞰しようという試みである。

日本で《動物をみる》という行為の歴史を遡ると、まずはめずらしい動物の姿や曲芸を見物させる「見世物」にたどり着く。当時の様子を映した浮世絵などみるかぎり、それは老若男女にかかわらず人気の出し物だったことがわかる。

いま動物園ときくと、ぼくらはつい子ども向けの施設と思いがちだが、それはじつは動物園の誕生以後、《動物をみる》という行為に「学び」という観点が持ち込まれるようになってからの話なのだ。ただ、わいわいがやがやと野次馬のノリで面白がったりビックリしているだけではダメなのだ。

そのことは、「動物園」が明治政府による国策の一環として整備され、当初博物館の一部門に位置づけられていたことからもわかる。ちなみに。「動物園」という訳語をあてたのはまさに『学問のすゝめ』の福沢諭吉なのだとか。

さらに、上野動物園の開園から数年後、そのとなりに開校した東京美術学校(現東京藝術大学)では、当初から動物の写生がカリキュラムに組み込まれ、ときにはモデルとして動物を学校に派遣するといったこともあったという。

じっさい、展示の中には当時の画学生たちが描いたサルの絵もあり、これがなかなか面白いのだ。きまじめに写実に徹した作品があるいっぽうで、あきらかに画壇の大先生に感化されたとおぼしき誇張された作品もあるといったぐあい。え?これ、俺っすか?――さすがにモデルとなったサル氏ものけぞりそうだ。

ほかにも、戦前の上野動物園の入場券には毎回あざやかなカラー印刷で異なる動物の姿が
描かれ、これなどは当時の子どもたちには「ポケモンカード」のような威力があったのではないだろうか。最強カードは「ライオン」か、はたまた「ゾウ」か。

展示の後半は、おもに動物園で制作されたアート作品が並んでいた。なかでも個人的に目を引いたのは東松照明が撮影した一連のモノクロ写真だった。

自然から切り離された動物たちがみせる弛緩した姿――爆睡するマレー獏などからは、どこかヒトのような雰囲気が漂う。そうか、人間とは自然から切り離されてしまった動物なのだなどとその姿をみてあらためて思ったりもした。

有名な画家の名を冠した「〇〇展」や「〇〇美術館展」のような華やかさには欠くものの、こうしたシブい企画には身近な世界にあらたな光をあて、ものの見方を拡張したり、凝り固まった感じ方をアップデートしたりといった効果がある。マメにチェックしていれば、無料やワンコイン程度の金額でこうした企画をみることができるのは、あるいは都会ならではのメリットといえるかもしれない。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_collection.html

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その後、上野広小路から地下鉄で銀座に出て、週末のイベントで使う品々など購入して帰途につく。ずいぶん歩いたが、“平和な”秋晴れのおかげでそれほど歩き疲れたという感覚はない。むしろまだまだ歩いていたくなるようなそんな一日だった。

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