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どうにも気になってしまい映画『異人たちとの夏』をみた

前回、ん? 前々回の浅草の話からの、これは続きである。

けっきょく小説だけでは飽き足らず、山田太一の小説を市川森一が脚色し大林宣彦が監督した映画版『異人たちとの夏』まで観てしまった。

主演を風間杜夫が、両親役をそれぞれ片岡鶴太郎と秋吉久美子が演じている。


この映画はすいぶんむかし、たしか十数年前にいちど観た記憶がある。


なんだかへんちくりんな映画だなあと思ったきり忘れていたのだが、今回原作を読んだことであらためて観てみたくなった。


では、2度目に観た感想はというと…… へんちくりんな映画だなあ……いや、あれ? ぜんぜん印象が変わっていない。


まあ、そもそもホラー風味のあるファンタジーだけに実写化じたい不向きなのだとは思う。35年も前の作品ということもあって、どうしたって陳腐にみえてしまう。


映画的な“華”を加味された登場人物のキャラクターも、原作を読んでからだと違和感がなくもない。


しかしそのいっぽうで、片岡鶴太郎と秋吉久美子が演じる両親はなかなかよかった。


“アート”にめざめる以前の鶴太郎によるやや過剰な職人口調もふくめ、それはそれでファンタジーの世界とはうまく調和している。


ちなみに、三人が訪れるすき焼き店は《米久》ではなく《今半》だ(小説では特に具体的な店名は書かれていない)。


どちらかというと《米久》のほうが雰囲気が出ると思うのだが、そこはなにかいわゆる大人の事情があったのかもしれない。


だが、それよりもずっと興味深かったのは両親が暮らすアパートのロケーション。


浅草の路地裏にひっそりたたずむそのアパートからは、当時完成したばかりの《浅草ビューホテル》の建物がひときわよく見えている。


と同時に、その建物に重なるようにして手前に《花やしき》の鉄塔が見えるのだ。


あたかも、現在と過去とのそこが交差点でもあるかのように。


確認したわけではないけれど、いまとなっては《浅草ビューホテル》と《花やしき》とをあのような角度から見渡せる場所はもはや存在しないのではないか。


もっとも、原作ではアパートがあるのはビューホテルとおなじ西浅草付近だったはず。


あの眺めから推測するなら、映画ではアパートの位置は西浅草とは反対方向になっている。


おそらく、映画版でのこの変更は意図的なものにちがいない。


とっくの昔に亡くなっているはずの父親が、若い時の姿のまま“現在”の浅草に現れる。


それを視覚的に印象づけるため、スクリーンの中にビューホテルの建物を入れたかったのではないか。


ちなみに、原作でもかつての《国際劇場》の跡に建ったその浅草らしからぬホテルについて父子のあいだではこのような会話がかわされている。

「見たか?」
「は?」
「でかいホテルだろう」
「ああ」

山田太一『異人たちとの夏』新潮文庫

それにしても、ホテルに重なるようにして《花やしき》の塔が見えるのはほんとうにおもしろい。


たんなる偶然か、それともなにかしらの意図があったのか。


いまとなってはそれについて解き明かす術はない。残念だけれど。

* *

と、まあ、ひょんなことから浅草に行き、それが引き金となってここ最近ずっとこんなことばかりかんがえていた。


こういうどうでもいい、めしのタネにもならなければ世の中のためにもならないことが気になってしまい、心をもっていかれてしまうといったことが僕にはたびたびある。


もはや病気と言っていい。


ーーーいったいなにを目指しているの?


別れた奥さんからはよく呆れられた。我ながら、ほんとうにそうだなあと思う。


まったくの話、なにを目指しているのだろう? 自分でもさっぱりわからないままいまに至っている。

***

と、ここまで書いたところで、なんとこの『異人たちとの夏』をイギリスの映画監督アンドリュー・ヘイがリメイクした『異人たち(原題「ALL OF US STRANGERS」)』なる作品があることを知った。

しかも、今月19日から日本でも公開されるらしい。タイムリーというかなんというか。


やはり、ここまできたら観るべきなのか?


でも舞台はロンドンらしい。


もはや浅草でもなんでもなくなっている。たぶんすき焼き屋も行かない。


まったく、なにを目指しているのやら。

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