見出し画像

現実の『面白れぇ女』はモテない

twitterにて『女性の発達障害の気づかれにくさ』がトレンド入りしていた。
つらつらとtweetを読んでいると『男女平等が進んだ結果、今まで”不思議ちゃん””天然”等、個性として容認されてきた女性の発達障害者も男性同様世間の厳しい目に晒されるようになった』『若くてかわいい女だから異性に庇護されてきたが、加齢とともに価値を失った結果メンヘラとして可視化される』といった意見を多く見かけた。

確かにそういう側面はあるだろう。太古のネット用語である『サークルクラッシャー』『オタサーの姫』に代表されるような戦略で『理解ある彼くん』を確保した発達特性持ち女性も存在するとは思う。

ただあえて言いたい、ふざけんな、と。

私はとうに『若くもかわいくもないオバサン』という地点にたどり着いてホッと一息ついているが、ハイティーンから20代にかけての生きづらさは筆舌に尽くしがたいほどの地獄だった。人間関係全般においても、恋愛においてもそうだった。

少女漫画のテンプレとして描かれる『面白れぇ女(より正確に言えばやべぇ女)』であったころ、私を恋愛対象として見る男性は存在しなかった。ある程度話せる相手と踏んで仮面をとっぱらって心のうちをさらけ出そうとすると彼らは引きつった笑いを浮かべながら後ずさりしていった。『個性的だね』『興味深い考えをしてるんだね』と言いながら。


私も多分に漏れないが、おそらく彼らは自分の手に負える『面白れぇ女』を求めていたのだろう。ちょっと変わった彼女を『やれやれ』と言いながらあたたかく見守る強者になりたかったわけで、彼らの力量以上になってしまうとそれは『面白れぇ女』ではなく『やべぇ女』なのだ。


発達特性を持つ人間はADHD、ASDどちらに傾いたとしてものめり込む習性がある。同時にそれによって日常生活に困難が生じやすく、その点を『抜けてる』『おとなしくてかわいい』と御しやすい相手として舐められることも多い。自分を押し殺して『御しやすい女』として庇護を得ることも一つの戦略かもしれないが、私は自身の手ひどい失敗から決しておすすめはしない。


いずれにせよ現実に存在する『面白れぇ女』は若くてかわいい時代においてもネット民が思うほど『理解ある彼くん』がぼこぼこ生えてくるような恵まれた環境にもいないし、だからといって己の面白さを押し殺して他者とかかわりあおうとすると遅かれ早かれ地獄を見る、というヘルシェイクな人生を生きているのだ。


のたうち回る20代をすごし、今や女として値踏みされることもなくなった地点から思うのは『どう頑張ってもやべぇ女に転ぶのなら心のままに好き勝手やってみるのも良いってことよ』だ。『面白れぇ女』たちでヘルシェイクしようじゃねぇか。ヘールシェイク、ヘールシェイク!!!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?