Vulnerability
2年半、ひたすら想い続けた人がいま僕の隣にいる。
昨日彼女にはじめて声をかけられた。それからずっと夢見心地の僕は今も緊張することすらできずに頭も足元もふわふわしている。
2年半前、彼女に人生初めての一目惚れをした。
「好きです。僕とつきあってください」
初対面、しかも自己紹介直後のいきなりの展開に彼女は一瞬驚いて目を丸くしてから、ありがとうでもごめんなさいと穏やかな口調で、しかしきっぱりと僕を袖にした。それでも僕は全然諦める気になれず、同じ会社で働く彼女を見かけるたびに告白をし続けた。
「だから、ごめんなさいって言ったよね」
「何度言われても答えは変わらないよ」
「会社の人とつきあう気は全然ないから」
彼女は色々な言葉で断り続けるのだが、僕はどうしても諦められない。もしかしたら今日はOKしてくれるかもしれないと根拠のない希望を抱き、顔を見るたび告白し続ける。そのうち彼女は断りの言葉すら発しなくなり、苦笑しながら僕の前を通り過ぎるだけになった。
「あれは本当に困った。何言ってもダメだからもう相手にするのをやめようと無視してみたんだけど、それも全然効果なくて」
彼女は言った。すみません。僕は神妙に謝って勝手な自分を少し反省する。
「でも、相手にしないと決めた人と二人でこうしてごはん食べてるんだから不思議だよね。しかも誘ったのは私の方だし」
「不思議です、マジで。どうして誘ってくれたんですか」
力の入った僕の問いに彼女はくすっと笑った。
「この間失神したからよ、私の目の前で」
「その件でからかうのは勘弁してください」
僕は恥ずかしさのあまりしゅるしゅるとしぼんで小さくなってしまう。
「ほんとのことなんだもの。あのときあなたが失神してなかったら、今日こうして話すこともなかったよ」
いやいやいやいや。僕は強く否定する。
「失神してふられたことは何度もあります。でも2年半、まったく振り向いてくれなかった人が急に誘ってくれて、その理由が失神したからなんて絶対おかしいです。嘘です」
「そうかな、同じ会社の先輩女性社員に告白してふられてっていうのを2年半もやり続ける人のほうが余程おかしいと思うよ」
それにね、と彼女は続けた。
「私、ちょっと変わったと思わない?」
彼女は社内では「鉄仮面」という異名をとっている。プライベートが全く見えない。感情を表に出さない。そして判断が時に冷酷なほど潔いことがその由来らしい。しかしそんな彼女について、やわらかくなった、人間らしくなったという噂を最近はよくきいた。
「やわらかくなったという評判です」
僕は正直に答えた。彼女は満足気に微笑む。
「あの日、私に告白しながら目の前で派手に失神するあなたに驚いて動揺して。あなたが無事に運ばれていったあと、がくっと全身の力が抜けちゃって座り込んだの。そのうちお腹の底から笑いがこみ上げてきて、じゃらじゃら涙まで出てきた。私、笑いながら泣いたの。鉄仮面が壊れてるって周りの人たちが騒然としてるのは分かるんだけど、全然止まらなくて、笑いも涙も」
彼女は愉快そうに話す。
「人前で大泣きしたのも大笑いしたのもあれが初めて。鉄仮面は壊れちゃったけどものすごく爽快で気持ち良かった。きっかけをくれたのはあなたの派手な失神だから、今日は感謝の気持ちでお誘いしました」
ありがとう。彼女はぺこりと頭を下げた。
「どういたしまして。でも僕は超残念です。痛恨です。見たかったです、あなたの泣き笑いも、鉄仮面が壊れた瞬間も。それって心が開いた瞬間ってやつですよね。一生に一度あるかないかの」
悔しがる僕を無視して彼女は話題をスライドさせた。
「ねえ、失神中って本当に意識ないの?」
「完全ブラックアウトで記憶ゼロです。あ、実はすごく気になってるんですが、僕、どんなふうに倒れました?」
「ドラマチック」
彼女は一言そう答えるとげらげら笑い出した。
「相当ひどかったってことでしょうか」
違うの、ひどいとかそういうわけじゃないんだけど。彼女は必死にいうのだが、笑いの勢いのほうが強すぎてそれ以上言葉にならない。
鉄仮面が壊れたあの日、彼女も僕も社員食堂にいて突然大きな雷が鳴るのを聞いた。瞬間、僕の意識が飛んだ。
僕は雷がものすごく苦手で、音を聞いたり光を見たりするだけで失神する。子供の頃はからかわれていじめられたし、好きな女の子に笑われてふられたことも何度もある。今まで失神癖でいいことなんてひとつもなかった。
けれども隣で笑い転げる愛しい彼女は鉄仮面から解放されて何とも楽しそうで僕は幸せで。これが雷によるあの日の失神のおかげだとしたら、過去の嫌な思い出なんてそんなの全部もうどうでもよくなっちゃうなと思うのだった。
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